先生は、六十歳くらいの年齢の女性で、その一室に、先生の夫と二人暮らしをしていた。キッチンは、その先生の家の一室にある普通の家庭用のキッチンだった。キッチンには、和室が、続きの間になっていて、料理ができ上がると、その和室に、大きな四角い座卓を二台つなげて、座布団を敷き、皆で食事を楽しむのであった。

弓子は、土曜の午前のクラスに参加した。だから、土曜の昼食は、皆で食べることができた。土曜の午前のクラスの生徒は、その時、弓子も含めて五名いた。

その時だけは、弓子は及川のことを忘れて週末を過ごせるので、とても幸せだった。弓子が料理教室に参加して、一年経った頃、新しく一人の男性が入会してきた。

その男性は、自分のことを、岡村さとる、三十歳ですと自己紹介した。それまで料理教室の生徒は、全員が女性だったので、生徒の皆は、その男性のことを、さとるくんと親しみを込めて呼んだ。

さとるは、新入生徒だったけれど、包丁さばきも手慣れていて、料理が上手だった。他の生徒は、全員が二十代、三十代、四十代の女性で、独身で、ほぼ初心者に近い状態で入会していた。

皆、仕事が忙しくて、普通の主婦ほどには、料理を行わず、スーパーのでき合いものを買って家で食べるような女性ばかりが、この料理教室に参加していた。それで、さとるの料理上手は、たちまち料理教室の生徒の間で話題になった。

その日も料理を作り終えて、皆で座卓を囲み、食事を楽しんでいた。

「さとるくんて料理上手ね。なのに何で料理教室に入会したの?」

生徒の一人が尋ねた。

「あら、私と近所なのね」

「メールアドレス交換してもいいですか?」

弓子は、さとるが、料理上手で、キッチンのシンクをきれいに掃除している姿を思い浮かべていた。それで、さとるのことは、きちんとした性格の男性だと感じていたので、メールアドレスの交換に快く応じた。

その日は、神楽坂下の交差点で二人は別れて、さとるは神楽坂を登って行き、弓子は、飯田橋の大通り沿いへと歩いて行った。