焼酎イン・レームトング(黄金半島)

Man being reasonable, must get drunk ;The best of life is but intoxication. Byron

これまでの人生では、「花は桜、お酒は日本酒」と断言していた。しかしである、あるお酒との出会いから、近頃は「お酒は日本酒」とは、断言しにくくなっている。

出会い、それはある日唐突にやって来た。インドシナ半島を巡る焼酎との出会いは、トワ・エ・モワの歌ではないが、「あ〜る日、突然」であった。

一九八四年二月、生まれて初めてベトナムという土地に足を踏み入れた。当時のハノイでは、見るもの聞くもの全てが衝撃的であり、昼間のハノイの繁華街は、まさに戦後の日本の闇市的乱雑さ、猥褻(わいせつ)さが漂っていた。

他方、辺見庸氏の『ハノイ挽歌』を読むと、往時のタンソニット・ホテルのくすんだ匂いまでが、漂って来るようで、当時の不気味なまでに静謐なハノイの一ホテルの様子がまざまざと蘇り、胸にある種の痛みすら感じてしまう程である。

当時、ハノイ駐在の先輩の勧めもあり、黒タイ族が住む合作社――を訪問する機会があった。北西部のラオス国境の近くにある黒タイ族の村に辿り着くまで、霧に閉ざされた幾つもの峠を越えた。

車窓から見え隠れする少数民族の衣装が、黒色を基盤としていたのが印象的であった。その村は、四方を山に囲まれた盆地の中にあり、峠から見下ろす風景は、したたるような緑に囲まれた鏡のような水面の広がりであった。「シャングリラ」(桃源郷)、そんな言葉さえ想起させる素晴らしい眺めであった。

村では、のんびり散策した後、高床式の家の中に招かれ、烏龍茶をいただいた。多分、山からしみ出した、まったりした湧き水のせいなのだろう。大変美味なお茶であった。昼食時になったので、後輩の奥さんが持たせてくれたおにぎりを取り出した。

高床式の家の主は、我々のおにぎりを見るやいなや、ウィスキーの空きビンに入った蒸留酒を持ち出し、小さなグラスに注ぎ優雅な仕草で勧めてくれた。先ずは、一献。感恩(ありがとう)。透き通った砂糖黍の焼酎の玉露が喉に沁み入り、程なくして五臓六腑にストーンと落ちていった。

おにぎりと焼酎のマッチングがこれまた絶妙であった。神は細部に宿る。あの時、多分、神は我々のすぐそばに降臨していたのだと思う。

人里を遠く離れたインドシナの桃源郷にておにぎりを肴に飲んだ焼酎の味は今でもなお忘れ難い。その後、インドシナ半島に散らばったタイ族を探訪する旅が続き、中国雲南省のシプソンパンナー(西双版納)、ラオスのルアンプラバーンなども訪問することができた。

タイ族の住むところ、それぞれ独自の焼酎があった。タイ族の人達と、簡単なタイ語の会話を肴に飲む地の焼酎の味は格別であった。