離別

政府転覆を謀ってから半年が過ぎた。国連の速やかな関与により、反対分子や外国の介入を未然に阻止できたので、ゲリラ的な反抗を除けば順調な国づくりが始まっていた。

潜水艦を下船すると、ヨンスは歓迎ムードを避けて、リー一家とミンをワシントン郊外の住居に移し、アメリカ生活に必要な言語や習慣、金銭感覚などを習得させた。2か月もするとミン以外は及第点以上で、特に子供たちは吸収が早く、遊びながら咀嚼(そしゃく)してしまう。

ヨンスはその間、任務を理由に同居はしないものの頻繁に出入りしていたが、少しずつ訪問間隔を広げていった。ジェインや子供たちは寂しさを無言で訴えていたが、任務のためと己を納得させていた。

あの大事件を身をもって経験した一家は、拭おうとしても拭えない深い心の傷を負った。それを誰もが口にしないことでなおさら重い十字架を背負わせてしまったことを、ヨンスは思い知らされた。

少しでも早く暗い過去の影を薄めるには、ヨンス自身の存在を遠ざけるのが最大の解決になるに違いない。そのことをミンに訴えて、しぶしぶながらようやく納得してもらった。アジア系移民が多いカリフォルニア州に州籍があったことにして、本国に気候が似ているボストンに転居することにした。

危険を避けるため、外出は当分ボディガード付きだが、家族には安心の保証にもなる。これを機にヨンスは海外勤務を命じられたことを告げた。ミンは承知であったが、意外な別れに、寂しさと不安で涙が止まらないジェインと子供たちであった。

一番辛いのは、偽って身を引かなくてはならないヨンスかもしれないと、ミンは感じていた。潜水艦から下船して間もなく、ワシントンの一室で会見した五人の各国代表者たちに再会し、感謝の言葉とともに、成功報酬として現金で2億ドル、残りの5億ドルを、各国代表者たちのそれぞれの国債で支給された。

ヨンスはそこから、リー一家とミンとにそれぞれ十分な生活資金を支給し、残りの資金と国債を、国ごとに銀行をかえて運用させた。子供たちは入学し、ジェインは子供たちとミンの世話に忙殺されていった。

ミンには一家のその後の定期的な経過報告を頼んでおいた。子供たちは学校にもたちまち慣れて楽しんでおり、社交的なジェインはたくさんの婦人たちに好かれ、ミンにも茶飲み友達が現れたと、手紙に書かれていた。

うれしかったが、家族の温かさを知った今では、かえって独りの寂しさがこたえる。