ガイド兼通訳のパイさんは何処だ、パイさんを呼べとの声が聞こえる。親父が再度食卓に顔を出した。皆で「ハリモト」と言うと、親父はちょっと首を傾げ、そしてゆっくり「アリモト」と発音した。

エッと皆の声。「何、もう一回言ってみて」。親父はもう一度言った「ハリガト」と。「え、なんだなんだ。皆聞いたかい」。そこで誰かが一言。「ねー、ハリモトはアリガトじゃないの。アリガトだよ」大きな波が浜辺に寄せたのは確かであった。

そして誰もが間違いなくその潮が引く音を聞いたと思う。大きな溜め息が聞こえた様な気がした。ホイアンの「ハリモト」の正体は、日本語の「アリガト」(ありがとう)だったのである。言葉は、本当に恐ろしい。

食事が済み、親父に握手してバスに乗り込む。バスは五行山に立ち寄ったあとフエに向かった。途中、ベトナムの文化を二分するとも言われるハイバン(海雲)峠をバスで越えた。青い空の下の峠の遥か眼下には青い海原が広がっていた。壮大な眺めであった。

「風景はそこで綴じあっているがひとつをうしなうこと無しに別個の風景にはいってゆけない。大きな喪失にたえてのみあたらしい世界がひらける」。そんな「峠」と題する真壁仁の詩の一節を思い出していた。

その時である、バスはマウンテン・バイクに乗った国籍不明の男を追い越した。自ら自転車をこいで苦労した分、その男にはバスで峠を越える我々には見えない特別な美しい風景が視界一杯に広がるのだろう。その男の顔をガラス越しに見る。良く見えない。下を向き肩で息をしている。やっと顔を上げた。

なんと、ホイアンの「会安酒家」の親父の笑っている顔にそっくりの様に見えた。「ハリモト」と叫んだあの陽気な親父の顔に。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『タイの微笑み、バリの祈り―⼀昔前のバンコク、少し前のバリ― ⽂庫改訂版』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。