父のひっそりとした葬儀が済み、母と二人きりの生活が始まった。小学生の美紀は一週間ほどの忌引きが終わるとまた学校に通い出した。一学年一学級しか無い学校では濱田幹也も同じ学級だった。

幹也も母が町を出て行くと父逸男と二人暮らしになった。幹也には少し足の不自由な祖母がいて、幹也の家から五〇〇メートルほど離れた逸男の兄家族と一緒に住んでいた。幹也の母が出て行くと女手のなくなった家に来て家事の面倒を看ていた。

「町で何と言われとるか知っとるか? お前がしっかりせんでこんなことになるんじゃ。儂ら恥ずかしゅうて町も歩けん」

祖母は逸男の顔を見るといつもそんな愚痴を溢した。

しかし、しばらくすると足の不自由さと高齢を理由に次第に幹也の家には来なくなった。祖母には幹也以外にも可愛がることのできる孫が三人もいた。口では幹也の不憫さを言葉にはするが、幹也は自分の息子を裏切った女の血を引く子供でもあり、事件以来複雑な思いを胸に抱くようになっていた。

そんな思いは日毎に増していき、やがては言いようの無い怒りに変わり幹也だけでなく息子の世話も嫌になったのだった。

「可愛い我が子を他の男にうつつを抜かすような女に任せられるか。幹也の面倒は俺が看る」

これが幹也を連れて家を出ようとした妻に切った逸男の啖呵であった。逸男にとり幹也は一人息子で可愛くはあったが、手元に置いて育てたいという思いよりも自分を裏切った女からその息子を引き離して一矢報いたいとの思いがあり、そんな気持ちから出た言葉だった。

しかし、そう言った手前、幹也の世話を祖母ばかりに看させることもできず、逸男は祖母の足が遠のいても文句は言えなかった。

漁師の仕事は重労働であり、漁を終えてから炊事、洗濯などの家事を熟すのは大変だった。

それでも祖母が来なくなって最初の頃はこまめに家事を熟していたが、いやになったのかそのうち手を抜き始め、生きるための炊事はともかく掃除や洗濯の回数は次第に減っていき、家の中は汚くなっていった。

あの事件以来、一人で漁に出ている間はともかく、漁協の市場や町中で顔見知りの者に会うと面と向かって言われることは無いが、その視線には嫁を寝取られた馬鹿亭主との侮りが含まれているようでつらかった。

その度に俺が何をした、俺が何か悪いことをしたかとの反発が胸に湧き上がったが、「男として不甲斐の無い奴」と思っているだろうと考えると下を向いて黙らざるを得なかった。そんな思いは逸男の精神を次第に不安定にさせたのだった。

明るくクラスでもよくできた幹也も母がいなくなった日を境にあまり笑わない口数の少ない少年になった。授業でも目立つことを嫌うようになったのかあまり手を挙げなくなった。昼休みは校庭の隅でポツンと一人で過ごすことが多くなった。

それほど言葉を交わすことはなかったが、そんな姿を目にすると美紀は自分と同じ片親となった幹也の寂しい気持ちが痛いほどに理解できた。恐らく美紀が理解したように幹也も美紀の寂しさが理解できたのだろう。

幹也があの出来事のために母が出て行ったことを恨んで美紀に突っ掛かってくるようなことは一度もなかった。しかし、クラスでは二人に微妙な距離があることを美紀は感じていた。
 

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。
※本記事は、2020年11月刊行の書籍『浜椿の咲く町』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。