【言語療法】

リハビリ室ではなく病棟内の個室で行われた。

一応、会話はできていたが、顔の右半分は、歯の治療の際に麻酔をかけられているような痺れが常にあった。右側の顔をアイシングで刺激しながら、顔のストレッチや発声練習を行う。初日は基本的な発声を行い、食事で困ったことはないかなど療法士と話した。

20分があっという間だった。

【作業療法】

やはり病室まで迎えに来ていただき、療法室に向かった。理学療法とは違い、療法室の約半分はベッドスペースで、半分が机上でリハビリができるスペース、奥に調理スペースがあった。理学療法と同様に、ベッドに移動し横になる。

まず右手のストレッチからだが、触れられている感覚が全くなく正直ショックだった。

そして、横になっているせいか、まだ意識も朦朧とするのか、眠ってしまうことも多かった。

療法士は、私の麻痺の状態、感覚がどれだけあるのかを細かに確かめながら、長時間ストレッチをしてくれた。私は寝ているだけだった。

右半身麻痺だが私の場合、上肢の麻痺が一番重いのではないかとリハビリを受けながら感じた。

足は動かないながらも感覚はあり、リハビリを頑張れば何とかなるはず、と思えた。

ただ上肢は本当に自分の体と思えないほど……例えるならば正座をして足がしびれ過ぎて、触られても感覚がないレベルを超えたものだろうか。肩関節は亜脱臼を起こしていたので、何とか体にくっついている手という感じがした。常に三角巾で右手をつり、車椅子で移動する状態だった。

私の右半身は、誰かに動かしてもらわないと動かない、まるで人形のようだった。

リハビリ初日はとても緊張したが、療法士の皆さんは、とても温かく熱心にリハビリをしてくださった。

1日を終え、知らない人ばかりの中で悲観的な気持ちにも襲われた。

『少しの出血で体はここまでになるのか。回復できるのだろうか』

しかし、私は転院してから泣きはしないと決めていた。

悲観的な感情を最大限に引き出せば、泣くこともできたのだろうが、私は、この時、ゲームで例えるなら主人公が満身創痍の状態で、LIFE(命)が復活するため、休憩という時間を与えられたのだ、と考えるようになっていた。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『アイアムカタマヒ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。