第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

人口減と少子化、本当の国難は人口減、東京1人勝ち、これが国の衰退に

日本初の元号である大化の時代にはご承知の通り、本格的かつ強力な行政改革も行われた。中大兄皇子と藤原鎌足の二人のリーダーシップである。蘇我氏等の守旧派を倒しての達成である。

筆者は昭和60年頃から「少子は高齢化の枕詞か?」と警鐘を鳴らし続けて来た。「青丹(あお)によし奈良」や「射干玉(ぬばたま)の闇」「垂乳根(たらちね)の母」と同様に“少子”には意味が殆どなく、日本語は後ろに重さがあるため“高齢少子化”と言うべきと主張してきたのだった。

講演で「誰の子でもいいから2人以上産んでほしい」と言うと、婦長(今は師長)さん達から「前段は取り消してください」とやんわりと釘を刺されたりもした。実際には問題発言かもしれないが「それ位の気持ちでないとこの国の少子化は止められないよ」と反論してきた。

この発言は、同じ赤穂市にある伯鳳会理事長の古城資久先生がよく引用して下さった。合計特殊出生率が2を切り、また団塊の世代が子作りに失敗(或いは作れなかった)したあたりから主張してきたが、時の与党自民党も野党日本社会党も耳を傾けてはくれなかった。

唯一少し聞いていただけたのは福祉の党を売り物にする公明党だけであった。しかし今ほどの政治力は乏しかった。女性の少子化担当大臣も3人(猪口邦子さん、小渕優子さん、森まさこさん)ほど? いたがお飾り、話題作りと票集めの感じで、何の施策も実績も創れなかったのは御承知の通りである。

ただ、子供を産み少しは貢献されたのかも知れないが……。同じような状況であったフランスが、今では2を少し超たり、切ったりしているのと大きな差がついてしまった。彼の国の第1子は自助、養育費も教育費も自前。第2子は共助、つまり養育費は自分で教育費は国。第3子以降は公助、両方とも公費である。

我が国もやっと教育費の無償化に着手したが、余りにもスピード感がない。ただ、フランスの人口対策にもマイナスの面があるのも否めない。結果的に子供を多く産んだのは、旧植民地の北西アフリカ地中海沿いのマグレブ諸国からの移民だったからである。

モロッコやリビア、アルジェリア、チュニジアからの人達である。この方達の失業率が上がり、イスラム原理主義への傾倒がテロの温床となったのも周知の通りである。決してテロを肯定するものではないが、1年での犠牲者は百人以下、我が国の人口減は百万人レベルに近付いている。

今後毎年和歌山県ほどの人口が減る推計で、人口統計は失敗続きの厚生労働省で外しようがない。過去30年間、ゴールドプランばかりに予算が付きエンゼルプランには殆ど付かなかった。老人には金と票と地位があるが子供には時間しかないからである。シルバー民主主義の悪い面がもろに出てしまったのである。

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『令和の改新 日本列島再輝論』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。