根来ねごろ

光秀一行は、堺から海岸線沿いに河内を通り、紀州に向かった。初めて海を見た幼子の倫は、大はしゃぎだった。

根来街道を下り、河内と紀伊の国境風吹峠を越えて雑賀荘に入った。峠を下ったところに根来寺があった。

根来寺は真言宗の寺だったが、寺とは名ばかりで、僧たちのほとんどが、高野山崩れの僧兵で、種子島に鉄砲が伝来すると、一早く鉄砲を取り入れ、得意の鍛冶の技術を生かし、自己製造をし、優れた射手を養成するとともに、鉄砲を有効的に用いた戦術を考案して、各大名や豪族たちの戦闘に駆り出され、派遣傭兵集団と化していた。

光秀は、見聞のために根来寺を尋ねてみようと思ったが、無頼の僧兵の巣窟だと聞いていたので、妻の煕子と娘の倫は街道沿いの茶店で待たせ、中間の茂作を伴って根来寺に向かった。

「御頼み申す」