3 脊髄性筋萎縮症の疑い


こうして肺炎で入院した電動車いすの少年、かけるくんですが、抗生剤をすぐに始めたおかげでみるみる良くなりました。翌日には熱も下がって食欲も出てきました。


ただ、私にはかけるくん本人について、もともとの病気が何なのか不思議に思っていました。電動車いすで移動するほど運動障害があるのに、知的には正常という病気を見たことがありませんでした。


一方で、私は小児内分泌というホルモンの病気を専門とする小児科医なので、小児神経の病気は専門外です。そのため、かけるくんが何の病気かわかりませんでした。


幸い、この愛知医科大学小児科の教授は奥村彰久先生という方で、小児神経のエキスパートです。入院した翌日は火曜日で、午後は教授回診があるので、かけるくんも診察をしてもらいました。


診察が終わった後、奥村教授にどのような病気が疑われるか聞いたところ、「たぶん、脊髄性筋萎縮症だろう」とのことでした。


「脊髄性筋萎縮症?」


こんな病名は聞いたことがありません。しかし、奥村先生は一目見ただけで脊髄性筋萎縮症だろうと診断しました。詳しく聞くと、運動障害はあるけど知的には正常、舌がぶるぶると震える(舌攣縮といいます)、表情が乏しい(表情をつくる顔の筋肉が萎縮しているため)といった所見があり、まず間違いないだろうとのことでした。


「英語で言うと、SMA。Spinal Muscular Atrophyだね」


その言葉を聞いたとき、私はあることを思い出しました。


私は2012年11月から2015年3月までアメリカ・シカゴ大学に留学しました。
留学先の指導教官はサミュエル・レフェトフという遺伝性甲状腺疾患の大家です。


私は留学先で、レフェトフ教授が発見した疾患の一つであるMCT8異常症という難病の遺伝子治療の研究に取り組みました。その研究では遺伝子を運ばせるためにベクターというものを使うのですが、ちょうど隣の研究室にいたインド人研究者も同じベクターを使っていたので、投与法や各臓器への効果などを一緒に研究していました。


そのインド人研究者が脊髄性筋萎縮症の遺伝子治療の研究をしていたのです。奥村先生が、「Spinal Muscular Atrophyだね」と言った瞬間、そのことを思い出しました。


アメリカでは「Spinal Muscular Atrophy」として理解していたので、すぐには脊髄性筋萎縮症と「Spinal Muscular Atrophy」が頭のなかで結びつきませんでした。


こうしてかけるくんで疑われる病名が判明したので、早速、インターネットを開いて、脊髄性筋萎縮症の臨床試験をやっていないか調べたところ、オハイオ大学で臨床試験をやっているということがわかりました。


臨床試験とは、健康なボランティアや患者さんを対象として、薬や検査などの有効性や安全性を確認するための試験です。


しかも、ベクターをつくっている研究室は、私がMCT8異常症で一緒に研究していた研究室でした。オハイオ大学の研究室は、もともと研究していた脊髄性筋萎縮症とともに、レフェトフ教授の研究室とMCT8異常症の遺伝子治療も共同研究していました。

その研究室のサイトを開くと、脊髄性筋萎縮症の臨床試験の途中経過が掲載されており、良さそうな結果が出ていました。


ちょうどそのとき、先天的な心臓の病気を持つ2歳か3歳の女の子がいて、その家族がアメリカでの治療費にあてるために募金を集めているという話が新聞に載っていました。


募金を集めてアメリカで心臓の病気を治療できるなら、神経の病気だって治療が受けられるかもしれません。何かうまくいきそうだと思って、すぐに行動に移しました。


その時点での問題は、

①どのような流れで脊髄性筋萎縮症と確定診断をするのか、
②かけるくんの病気のタイプが臨床試験の対象となっているのか、
③アメリカで治療を受けるのに必要な費用を集めることができるのか、

の3点でした。


のちほど脊髄性筋萎縮症について説明しますが、かけるくんは脊髄性筋萎縮症の2型というタイプでオハイオ大学の臨床試験の対象ではありませんでした。ただ、1型の臨床試験で良好な途中経過が出ていたので、2型も臨床試験の対象になる可能性がありました。


また、アメリカでの治療は保険がきかないため非常に高額になります。最近では、例えば心臓移植だと2億円くらいかかるそうです。それに比べると、脊髄性筋萎縮症の治療では手術が必要なわけではないので、1億円くらいで済むかもしれません。それに臨床試験に参加する場合は、治療費が無料になることもあります。


そのため、さきほどの3つの問題のうち、②と③は何とかなると思いました。しかし、脊髄性筋萎縮症と確定診断をしない限りは臨床試験にも応募できません。


そこで、まずは医療不信が少なそうなおばあさんと、かけるくん本人に遺伝子検査の話をすることにしました。しかし、最終的にはお母さんに話をする必要があります。


私はおばあさんとかけるくんに、症状から脊髄性筋萎縮症が疑われること、脊髄性筋萎縮症の臨床試験をアメリカでやっていること、募金を集めて臨床試験を受けることも不可能ではないこと、1型では良好な途中経過が出ており2型でも将来的には治療の対象になる可能性があることを説明しました。


二人とも静かに聞いていました。


一通りの説明が終わった後に、おばあさんは、
「今までにいろんな専門家と言われる人に診察してもらってきたが、この子が治るとか、治る可能性があるとか言ってくれた先生は、岩山先生が初めてです」
と驚いたように言いました。


詳しく話を聞くと、小さいころは療育施設にリハビリのために通っていたのですが、そのときに先生から、「どうせこういう子は良くならないよ」と言われたことがありました。かけるくんのお母さんはそのことがショックで、パニック障害を発症したそうです。


しかし、その時点では私も夢を語っているのに過ぎず、現実的に治療が受けられる可能性は10%もないと思っていました。しかし、10%でも希望があるのとまったく希望がないのでは、かけるくんにも家族にも大きな違いがあると考えて話をしたのです。


かけるくんが入院したのは、夏の暑い時期だったことを覚えています。


愛知医科大学の周辺は自然がたくさん残っており、いたちやたぬき、最近ではヌートリアやアライグマが目撃されています。ちょうどそのとき、私は息子から、「カブトムシを捕まえる罠をつくったので、大学のそばの林に仕掛けてほしい」と頼まれていました。


退院前日に、かけるくんに外出許可を出して、かけるくんとカブトムシの罠を仕掛けに行きました。かけるくんは電動車いすに乗って林の手前まで行きました。私は木に登って罠を仕掛けました。


翌日、罠のなかを調べましたが、カブトムシは入っておらず、ハエが1匹入っていただけでした。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『希望の薬「スピンラザ」』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。