「健吾、唯ノ介君を家まで送ってあげなさい」

「はい、父上」

健吾は素直に百合を伴い道場から外に出て行った。

二人が道場を出ると、健吾は物凄い勢いでどんどん歩き出し、道場からかなり離れて誰からも見えない所まで来ると、いきなり振り向いて、真剣な口調で訊ねた。

「綾菜さんの具合はどうなんだ」

「分かりません。昨日私が帰って来る少し前に喀血して倒れたと兄が父を迎えに来ました。家に帰ってからも、静かに寝かさないといけないので、暫く様子を見に行ってはいけないと言われていて、いまだに姉とは話していないのです」

百合は急に俯いてしまって、答える声が震えだした。

百合と健吾はいわゆる幼馴染だ。健吾と聡太朗は同い年で、二人は学問も剣も一緒に学んでいる仲だが、それ以上に幼い時から一緒に過ごすことが多く、殆ど友というより家族のような仲であった。

どちらかというとじっくり物事を考えるたちの聡太朗に比べ、健吾は正義感が強く、思い立つとすぐ行動に移してしまう傾向がある。だが剣の腕前は物凄く、健之助に言わせるといわゆる天才肌な剣を使う。

むしろそれ故、健之助は殊の外健吾を案じることが多かった。人格的な成長が剣の腕前の上達に追いついていないというのだ。ただ驚くほど優しいところもあり、百合にとってはもう一人兄がいるような存在であった。

「母上は昨日、台所で肩を震わせて泣いていました。きっと姉の病気はかなり重いのだと思います」

泣きそうになった百合に、それ以上質問は出来なかった。

「兄上は昨日からあまりにご心痛で、食事も喉を通らないご様子なのだ。見ていてお気の毒でならない」

「でも姉上には、父上が付いていますから、きっとお元気になられます」

百合は顔を上げて、真剣な調子で自分に言い聞かせるようにきっぱりと言った。

「そうだな」

二人はまた小幡家に向かって歩き始めた。

両家の間には少々の林があり、その周りは草地であった。よく通られている小道が通じており、行き来が激しいのが分かる。お互いの敷地の境界には塀や生け垣がなかった。どこからが藤堂家の敷地でどこからが小幡家の庭か、今一つ定かでない。

そんなことはどうでも良いような両家の間柄であった。二人はすぐに小幡家に着いて、そこで別れた。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『遥かなる花』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。