奇跡

善一さんの身体をマッサージする、という治療方法は、私と善一さんとの間に、これまでにない親密なコミュニケーションの場を与えてくれた。これまではなすべきこともなかった故であるが、私はただ、善一さんが自分自身の心をしっかり持ってくれるよう傍観者としてそばにいただけだった。

今は、私が治してあげるのだ、二人で協力して治すのだ、という信念が生まれ、これまで孤独だったあの人が、もう自分は孤独ではないと感じ始めたことも、善一さんの症状を良くする条件の一つになったのだと思う。私は無責任だったのだろう。妻としてやらねばならぬこともせず、すべてを善一さん一人に委ねていた。それは大きな間違いだった。

私が善一さんの身体に触れることにより、善一さんは孤独感から救われ、闘病のための意志を強く持つことができたのだ。夫婦だから、嬉しいことも辛いことも一緒に感じなければならないのだった。

あの先生は、夫婦二人、力を合わせて病気と立ち向かうことの大切さを、こんな形にして教えてくれたのだ。私にしても大きな意識の変革だった。すばらしいことだった。これだけでもあの先生と会った甲斐があった。

先生に診てもらう前は、島原の家の玄関前の一段きりの段を降りるときでさえも私の肩を借りねば降りられなかったのに、今日などは(治療開始一週間後)自力で降り(無論昇るときは人の肩を借りねばならない)、一日一日、2、3メートルずつ、独力で歩ける距離を伸ばし続けている。嬉しくてたまらない。治療(食餌療法+マッサージ+やる気)の効果が目に見えることはとても喜ばしいことだ。励みになる。私もいっそうやる気が起きる。

今までの善一さんの靴は重すぎて(約1kg)、軽いスポーツシューズ(約200g)に変えたことも歩く距離を伸ばした一因であろうが、それだけでこんなに歩けるようになるわけがなく、やはり治療効果が出ているということであろう。

日は変わって、今日は昭和61年6月8日(日)。昨日、福岡から義妹のA子さんがやってきた。一人増えただけで家の中が賑やかになり、未央がとてもはしゃいでいた。A子さんは相変わらず涙もろく、善一さんの病状がひどくなったと思って涙を浮かべていた。

しかし、私は、善一さんの病状は確実に治ってきているし、何よりも本人が病気に勝とうという気持ちになったことで、病気は半分治ったようなものだから、そのことを単純に喜んでほしいと、彼女に言った。泣いてばかりいられたら私が困るのだ。しかし、彼女が今回も涙もろかったのは、あとでわかったことだがほかにも理由があったのだった。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『ALSと闘った日々』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。