恋愛とも似ているのかもしれない。すぐに飽きてしまう。こんなことを言っている私は何様なんだと自分で恥ずかしくなるが、これは事実なのだ。世の中を知りもしないくせにこんなものかと興ざめしてしまう自分がいる。

恐らく私は街に恋をしたいのだろう。飽くなき好奇心を掻き立ててくれるような生活を夢見ているのだろう。日々が探検であり、それがいつか安堵へ変わっていくような、そんなものを街に対しても求めている。こんなことを考えながら、また思い出すのだ。

あ、そういえば私は癌になったのだ、と。

もう終わるというものに対してはどこまでも貪欲になることができる。やってはいけませんよ、と言われれば言われるほど、やりたくて仕方がないものだ。そう考えると癌になったというのは、退屈だ、退屈だとほざいている私に対しての起爆剤だったのかもしれない。それにしてもこの仕打ちは少し厳しすぎるのではないだろうか。神様に対してそう思う。しかしもしかしたらこのくらいが丁度良かったのかもしれない。

最近、テレビでも話題になっているが、若い女性には子宮頸癌が多いのだそうだ。これまでの人生を振り返ると、この程度で良かったと思うことしかできない。ましてや早期発見というものは、きっと神様からのプレゼントだったと思う。それにしても、人生というものはめまぐるしく展開して行く。にもかかわらず、癌になって初めて気が付いた。どうしてこんなに退屈なのかと。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『破壊から再生へ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。