敵地への出向

会社の合併話はトップシークレット。

多くの場合、自社の合併を社員が知るのはマスコミ発表当日だ。会社員にとって合併は人生の一大事。合併の目的は効率化なので、かなりの数の社員が会社の存続のため整理されることになる。

アローヘッドの導入などで、機関投資家の立場が揺らいでいた折、ディーリング部が10人ほどに縮小されるという噂が伝わってきた。取引で大した成績を残していない僕などは一番にはじき出されるだろう。ディーリング部で働くために入社したのに……。とはいっても、僕も入社して約2年。一部上場企業の社員であるということのメリット、社会的な信用、経済的安定性―を実感するようになっていた。ディーリング部から追い出されても、それを捨てる勇気はない。

「俺、これからどうなるのかなぁ」

楽しい同期との飲み会でもつい弱音が出る。いつも合コンのセッティングを手伝ってくれる同期の岡山も心配してくれた。

「山下、お前、髪切った方がいいんじゃない?」

僕は入社当時から、耳が隠れるくらいの長髪だった。

「ディーリング部はわりとゆるい雰囲気だけど、他の部署だと、目つけられるよ」

岡山は僕と同じようにノリがよく、よく遊ぶが、会社の慣習に自分を合わせることに抵抗はなく、その組織に順応して上がっていけるタイプだ。僕とは違う。

「人に合わせるためだけにスタイル変えるのは嫌だな。それに髪、長い方が女の子にモテるでしょ」

「ウチはわりとゆるい社風だから許されてるけど、K証券に行ったりしたら、あそこは雰囲気違うから」

「えっ、やめてくれよ、K証券に出向? それはないでしょ」

不運なことに岡山の予言は的中した。合併から2カ月後、ディーリング部などから僕を含む14人が、K証券の「投資戦略室」に出向することになったのだ。

K証券の本社ビルは同じ北浜の一筋南の通りにあった。

場所は近いが、僕らヒラ社員には3月までは何のかかわりもなかった別会社。見知らぬ場所に乗り込むことになる。K証券は経営不振に陥っていたため吸収合併され、I証券の子会社という形になったが、元々会社の規模はK証券の方が3倍ほど大きい。それなのに「子会社」という身分に甘んじなければならないのは、K証券の社員にとっては屈辱だろう。

そこに乗り込む僕たちは、予想通り完全にアウェーの状況だった。投資戦略室。名前はカッコイイが、合併に伴って新設された部署で、その目的はディーリングしかやってこなかった「使い道のない」I証券の社員を営業マンとするべく教育することにある。部長、課長はK証券の人間。残りのヒラは全員I証券。ここから僕の生活は、恐ろしいほどに一変した。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『よそ者経営』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。