「うろ覚えじゃが、一九三〇年のことじゃった。

ホーおじさんは、この地に来てワシの父の家の土地の中に住み始めたのじゃった。その『スター・フルーツ』の木は、その時ホーおじさんが植えたもんじゃ。ホーおじさんは、花も好きで花壇も作っておった。その他にヤシの木も植えているが、それは、生け垣のところに生えているヤシの木じゃよ。

ホーおじさんがここに来た時は、わしは七歳じゃった。ホーおじさんとベトナム語で話したこともある。ホーおじさんは約七カ月近くここにおったが、その後突然消えてしまった。ホーおじさんは去ったが、この木は成長し、毎年甘い実をたわわに実らせているのじゃ。最近は多くの人がこの木を見に来るようになった。

時代が変わったものじゃ。この間、TV局ITVのスティチャイ・ユーンも取材に来た。在タイのベトナムの大使もお参りに来たことがある」

ホー・チ・ミンの話をしている間、そのおじいさんの目には、薄らと涙が滲んでいた。これまで東北タイにおける共産活動が活発になりし頃は、タイ当局のベトナム系住民に対する当局の監視の目は、大変厳しかったに違いない。

おじいさんのその涙の訳は、多分長い間、公には出来なかったこと、やっと人前で誰にも憚ることなく話せる時代が到来したとの喜びの涙であったのだろうか。

東北タイは、メコン河の流れるタイ・ラオス国境に近い村に、実際にホー・チ・ミンと話したことのある歴史の生き証人が現存しているとは。

「事実は、小説よりも奇なり」、私達は、歴史書に記述されている以外の事実については全く知らされていないのだと思う。

歴史書にはほとんど書き込まれていない史実、ホー・チ・ミンの東北タイにおける活動について、いつの日か何とか調べ上げたいと思う。

近い将来、日本の観光客等が「ガイド・ブック」片手に、ホー・チ・ミンお手植えの木を探す旅に押し掛けて来る日が来るのだろうか。

ただ今は、「ホー・チ・ミンの木」をそーっとしておいて欲しい。そんな気持ちが強い。

いつの日か、スター・フルーツの実もたわわに実った頃、是非、「ホー・チ・ミンの木」を再訪してみたいと思う。可能であれば、その木を見た後、ムクダハーンに下り、将来完成されているかもしれない第二メコン国際架橋(二〇〇六年開通)を渡り、ラオス領内のサワンナケートに入り、九号線を通ってベトナムに入国し、古都フエにあるホー・チ・ミンが勉強したコクホク大学に足を延ばしてみるのも面白い旅になると思うのだが。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『タイの微笑み、バリの祈り―⼀昔前のバンコク、少し前のバリ― ⽂庫改訂版』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。