ホー・チ・ミン手植えの木

タイでの勤務を終え、バンコクを離れたのは一九八〇年代半ばであった。

当時、「カンボジア問題」を巡り、タイとベトナムの関係は相当こじれていた。ベトナムのグエン・コ・タック外相がタイを訪問した際に、タイ側のカウンターパートであったシティ・サウェートシラー外相との会談を風邪を理由に唐突にキャンセルするという出来事も起きている。

その他にも、ベトナム領海内におけるタイ漁民の拿捕だほ、カンボジアのベトナム軍のタイ領侵犯及びカンボジアにて活動中のベトナム輸送機のタイ領内における墜落事件等、タイ・ベトナム関係に影響を及ぼすいろいろな事件が起きていた。

タイ・ベトナム外交関係に関し、一度是非まとめてみたいと考えた時期もあった。特に、ホー・チ・ミンの謎のタイ国内教宣活動に関し資料を集めてみたいと思っていた。事柄の性質上、資料は皆無で、ずっと後になってベトナム現代史研究者の古田元夫さんが書いた「シャム在住ベトナム人共産主義者」をやっと入手することができた。

しかし、その資料にも、ホー・チ・ミンの東北タイにおける活動についての具体的記述は無く、タイにおけるベトナム人共産主義者の活動状況について若干記述されている程度であった。

その後、東北タイにおけるホー・チ・ミンの軌跡を追う試みは全く放棄していた。しかし、その後、タイの英字紙に在タイ・ベトナム大使が、東北タイの某地域でホー・チ・ミンが自ら植えた木を訪問したとの記述を発見した。早速、記事を切り抜いておいたが、整理が悪いせいかどこかに紛れ込んでしまい、大変口惜しい思いをしていた。

しかしである。何が起こるかわからないのが人生。一九九七年二月末、幸運なことに、東北タイのメコン河に沿ったタイ・ラオス国境地帯に出張する機会をもつことが出来た。

ノーンカーイヘの出張後、立ち寄ったナコンパノム県の県庁職員に「ホー・チ・ミンの手植えの木」につき念の為に聞いてみると、偶然にもその職員はその木を見たことがあるというのだ。

その職員を拝み倒し、是非にと案内を乞うと、意外にあっさりと快諾してくれた。副知事の同行も決まり、大勢で現場に出掛けることとなった。

国道から未舗装の小さな道に入ったが、暫くその木を探しあぐねた。道を間違えたらしいが、近所の農家を尋ね回り、何とかその木のある家を探し出すことが出来た。

「あれがその木ですよ」と県庁職員に案内されてついて行くと、奥の母屋の方から上半身裸のおじいさんが出て来た。県庁の職員が高さ十メートル程度の木を指差して、「この木が、ホー・チ・ミンの木ですよね」と念の為に確かめると、そのおじいさん、よくぞ聞いてくださいましたと言わんばかりに、東北訛りのタイ語で捲し立て始めた。