祈ること


退院したあと、体力が衰えた私は、それまで以上に虚弱体質になっていました。家から学校までは、そう遠くはないのですが、その道のりが辛く、教室に着いても、しばらく、ゼーゼーと、肩で息をしていました。片耳が聞こえないので、席は一番前にしてもらっていました。

しょっちゅう喘息の発作を起こし、その度に入院し、学校は休んでばかりでした。喘息の発作は、本当に苦しいものです。当時、まだ特効薬がなく、減感作療法を受けに、毎週、注射をしに通院しました。

私は、毎日が辛くてたまらず、命を救って下さった神様なら、なんとかして下さるはずだ!と思い、誰に教わったわけでもないのに、毎晩、眠る前、布団の上に正座をし、手を合わせ、(神様。明日は元気に過ごさせて下さい。お願いします)と、長いこと祈ってから、布団の中へ入りました。

中学へあがって、生理が始まり、喘息の発作は減ってきましたが、どうしてなのか、両足の裏全体の皮がひび割れ、剥けて、血が滲み、痛くて歩けなくなりました。あちこちの大病院の皮膚科へ行きましたが、珍しいので症例にしたいと写真を撮られたりしましたが、どこの先生も治してくれませんでした。仕方なく、処方されたテープを、足裏にビッタリ貼って、痛みをこらえ、通学しました。

地獄には、針の山があると聞きましたが、私は本当に、毎日、針の山を歩き、痛みに耐えて暮らしました。

入学したての時はトップだった成績も、周りの子達のように塾へ行く事もなく、みるみる下がり、通学も苦痛だった私は、高校へ行きたくなくて、受験勉強なんて全くしませんでした。兄と同じに、公立の進学校へ進むものと思い込んでいた両親は、困り果てていました。
 
そんな時、担任の先生が、思いもしなかった提案をされました。伝統ある私学の女子高へ、ここなら推薦状だけで受かると言われたのです。私は、こんなに成績が悪くても、行ける高校があるのかと、心底驚きました。両親がホッとしたのは、言うまでもありません。

そこは、仏教系の学校でした。毎朝朝礼があり、合掌して仏様に祈る生活が始まりました。私は、神様だけでなく、仏様にも祈るようになり、心が安らいでいきました。