ハードなトレーニングを積んだトッププレーヤーは、試合終盤になってかなり疲れた状態でも、横の動きには何とか対応できる。これはテニスを知る者の常識だ。ただ縦の動きとなると話は別だ。これには脚の筋肉の疲労状態でパフォーマンスに大きな差が出る。そもそも通常のフレッシュな状態で試合に臨んでも、前後の動きに的確な対応ができるプレーヤーは僅かしかいない。

つまりこの戦法は、基本的に有効なのだ。ましてや今日の今のカラスにとってこのやり方は、拷問に等しいものだった。それでもセット中盤まではカラスは粘る。《3-3》スリーオールまでゲームを成り立たせているのは他でもないカラスの精神力だった。

次のゲームを中井がサービスキープして《4-3》フォースリー。チェンジコート後のカラスのサービスゲーム。

遂にカラスに異変が起こる。(15-30)フィフティーンサーティからのセカンドサーブ。もはや余力のないカラスはただ入れるだけになっていた。

中井は十分に打ち込めるはずのそのセカンドサーブをあえてドロップショットでリターンした。しかしそれはネットを越えるかどうか、怪しい程の質の低いものだった。

普通の対応をすればサーバー側は簡単にポイントが取れる。但しサーバーは万が一ネットを越えた場合に備え、打球にダッシュする事が必要だ。結果は予想通り距離感が悪くネットの白帯に当たりノットイン。

その時観客は予想外の画を見る。ネットの向こう側に居るはずのカラスが居ない。打球を追わない、いや追えないのだ。

相手選手はそんな状況を本能的に嗅ぎ取るものだ。元気一杯でも戦略的にあえて追わないケース。相手ショットが芸術的で物理的に追えないケース。今この時はそのどちらでもなかった。

(30-30)サーティオール。中井は確信した。カラスは動けない。次のリターンは見え見えの甘々のドロップリターン。カラスは追わない。追っても追えないと分かっているから追わないと決めて追わない。

(30-40)サーティフォーティ、ブレイクポイント。次のポイントも全く同じだった。ブレイク。均衡が破れた。それは実にあっさりと。

《5-3》ゲームカウント、ファイブスリー。次のゲームは中井、サービングフォーザセカンドセット。カラスはサーブをリターンしない。リターンする素振りすら見せない。

追えば追いつけるかもしれないが、端から追う意思が無く追わない。カラスは第二セットを完全に捨てる。

中井、ラブゲームキープ。【1-1】ワンセットオール。