千宗易との出会い

夕食前、旅籠はたごの大風呂に浸りながら光秀は先般の事を思い浮かべていた。

それにしても、早々から大変な目にあったものだ、「しかし災い転じて福となす諺もある通り、あの二人はこれからもよい片腕になるかもしれない」などと思いをめぐらせていると、一人の行商人風の男が、手拭で前を隠し、にこにこしながら入って来た。

「それにしても、先ほどは、おもろいものを見せてもらいましたで、お侍さん危ないとこでおましたなあ、あの浪人者より坊主の方が、腕が立つと見えましたで」

そう言って小腰をかがめ湯船に入り、光秀の隣に身を沈め小声で

「お侍さん美濃の明智さんでっか、気の毒なことをしましたなあ、これから仕官を求めての旅でおますか、それなら勉強のために堺においでなされ、堺には、この頃南蛮から種子島という珍しい人殺しの道具が入って来てまして、特に尾張の信長はんが興味を持ちまして、先般もお忍びで来て大量に種子島を買い付けていきましたわ」

「あなた様はどちら様ですか、ただの行商の方とも見えませんが」

「いやただの堺の商人どす、南蛮からの陶器や鉄鍋などを、あちらこちら渡り歩き売り歩いておます。大きい声では言えませんが、これからの天下で有望なのは尾張の信長はんと違いますか。若いのに茶の湯などにも興味を持ってまして、堺の納屋衆から名物の茶道具を金に糸目も付けず買い漁っておりましたわ。この頃では自分の家臣の者を常駐させて、南蛮の珍しいものなどを買い漁らせておりますわ」

光秀は千宗易から信長の噂を聞いて驚いた、信長は自分の従兄妹濃姫の夫だったが、側室に子を作り濃姫を実家に追い返した悪逆非道の人間だと思っていたが、なぜか印象深く心の奥に刻まれた。

それから光秀は、家族共々一か月ほど京の町にとどまり、京童のために寺子屋か剣術指南の道場でも開き生計が立てられないかと思案し、町中を巡ってみたが、京ではその頃、第十三代足利将軍義輝が幕府を開いていたが、ほとんど三好一族や、松永久秀の傀儡かいらいとなっており、また三好一族でも、家老の松永久秀等と内紛を繰り返しており、平安な庶民の暮らしなど望むべくもなく、あきらめた光秀は千宗易の事を思い出し、「そうだ堺に行ってみよう、何か良い未来への暗示があるかもしれない」と妻子と中間を連れて境に向かった。

堺の宗易のやしきを尋ねた光秀は、腰を抜かさんばかりに驚いた、ただの行商人だと思っていた宗易の邸は、周囲が四町ほどもあり、漆喰に黒瓦の屋根のついた塀を巡らし、中には種々の東屋が点在し、多勢の召使や女中達が忙しそうに立ち働いていた。