第四は、漢帝国が古朝鮮の領域を併合して、郡県制の中国式の直接支配をした地域には、現在の韓国の地域は含まれていません。

『中国歴史地図集』の「西漢時期図説」には、漢帝国の四周に住んでいる種族の詳しい説明があり、烏桓・鮮卑・夫余・粛慎・沃沮・匈奴などの名がありますが、この時代には韓国の地域の人々は記述されていません。

すなわち、韓国の地域の人々はまだ種族名が知られていなかったので、「半万年の悠久の歴史」に登場していなかったのです。

第五は、高句麗・百済・新羅の三国時代の存在です。

この時代は三国がお互いに覇権をかけて500年間も敵対していました。このように互いに敵対して攻撃し殺し合った歴史は、「共に生きた我が民族」の歴史といえません。

第六は、渤海国の存在です。

新羅は唐の力を借りて武力で百済を併合し、高句麗も唐と共に倒しましたが、その後高句麗は唐の領土となり、後に唐の勢力を追い出して渤海国が建国されました。

渤海国の領域は現在の北朝鮮の領域と中国の東北三省を含み、ロシアの沿海州の南部を包含する広大な地域です。この渤海国は高句麗遺民と韃靼人が建国した国です。この渤海国に住んでいた人達は後に清王朝を建国した満州族です。満州族は朝鮮民族とは言えません。

第七は、高麗による、渤海人や女真族の受け入れです。

すでに見たように渤海人と女真族は、後に清王朝を建てた満州族の人たちであり、朝鮮民族とはいえない人たちです。このような状態から見て、高麗の建国初期の人々は多くの種族で構成され、一つの民族であるとの意識が存在していたとはとても考えられません。

以上に詳細に述べたように、高麗建国初期の時代までは、「半万年の悠久の歴史を共に生きた我が民族」と言える民族は存在していなかったと判断できます。