「アメツツチドリマシトト」は語義不詳。「ナドサケルトメ」は「など黥ける利目」で、「どうして目にいれずみをしているのですか」と解釈されている。大和側の住人である伊須気余理比売にとって、大久米ノ命が眼の裂け目に入れ墨をしているのが不思議に思え、問い質しているのである。

ということは、そのままに解釈すれば大和側には当時目の周りに、入れ墨をする風習がなかったことになる。『魏志倭人伝』には倭人の習俗として「入れ墨」に関する記述がある。

その東夷伝序文に「異面之人有り、日の出づる処に近し」と記し、倭人伝の中でさらに詳細な形で次のように述べている。

男子は大小となく、皆黥面文身げいめんぶんしん(=顔と体に入れ墨をすること)す。古より以来このかた、其の使の中国に詣るや、皆自ら大夫と称す。夏后少康の子、会稽に封ぜられ、断髪文身して、以て蛟竜こうりゅうの害を避く。今、倭の水人、好んで沈没して魚蛤を捕え、文身して亦た以て大魚・水禽すいきんを厭わしむるに、後稍稍やや以て飾りと為す。諸国の文身、各々異なり、或いは左にし或いは右にし、或いは大にし或いは小にして、尊卑にしなあり。

まさしく神武記の一文に対応した記事と言えよう。『古事記』の言い伝えが事実とすれば、その記述の如く、神武勢力は九州からの侵略者であり、『魏志倭人伝』が語る黥面文身の習俗は九州地方の描写であるとは言えまいか。

いずれにしても、政治的・軍事的に見て異質な文化圏の勢力が大和側に侵入してきたことは否めない。そんな疑問を抱きながら、神話伝承の地・宮崎に向かった。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『 ―旅でたどる―神話の原風景 文庫版』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。