苦しくなった大学生の生活と新旧『東京ラブストーリー』

最近、私がショックを受けた数字がある。それは、地方から上京し東京の大学に通う学生の一日当たりの生活費だ。「東京地区私立大学教職員組合連合」のホームページによると、2019年度の「家賃を除いた一日当たりの生活費が730円」とある。

730円では食費にも足りないのではないか。もちろん無理だとは言わない。たとえば、朝食に食パン二枚、昼は吉野家の牛丼かマクドナルド、夕食はスーパーの惣菜コーナーのコロッケをおかずにご飯は自炊で、味噌汁はインスタントといった献立は可能だろう。だが、それ以外のこと、たとえば映画を観に行こうとしても、山手線の初乗り料金が140円だ。とても気軽に映画鑑賞などという状況にはないと推察される。

はたして、これで「文化的生活」と言えるのだろうか。

日本国憲法第25条では、基本的生活権を保障している。改めて条文をみてみたい。

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

言うまでもなく「憲法」は最高法規だから、多くの大学で学部を問わず教養科目として「憲法」についての講義があるが、大学生はいったいどんな気持ちで講義を聞いているのだろうかと想像すると大変心が痛む。

同ホームページによると、この数字のピークは平成二年度(1990)の2460円だそうで、ちょうど私の大学時代と重なる。当時、親からの仕送りに加え、日本育英会(いまの日本学生支援機構の前身)から奨学金(無利子貸与)を受け生活していた。そして、ほかの男子学生と同じようにタバコを吸っていたから、一箱250円のタバコ代は毎日かかった。

また、授業の合間に喫茶店(いまで言う「カフェ」)で時間をつぶすことも多かった。食事は三食普通に、特に夜は友人たちとよく外食していた。ほかの大学の地方出身の学生ともつきあいがあったが、同じような生活をしていた。だから、この2460円というのは、実体験に照らしても妥当な数字だと言える。

また、さきほど触れたように私は奨学金の貸与を受けていたが、その際に保護者の年収が規定の額以下であるという制限があったから、親からの仕送り額もほかの学生よりは若干少なく、私のこうした生活レベルは当時とすると平均より幾分低い感覚を持っていた。