中井①

中井と竹岡の差は、テニスにおける、勝負における、人生における「覚悟」の差だった。所詮は学生の中井と、絶対に負けられないプロの竹岡には、その意識において雲泥の差があった。

竹岡はこの大会を優勝。大会後は日本を飛び出し、世界を舞台に羽ばたいていく。中井は負けた直後こそショックではあったが、その後の竹岡の活躍に刺激を受ける。テニス部に戻った中井は本気で練習に取り組む様になった。生まれて初めてテニスに真摯に向き合ったのである。

一時的に中井の鼻はへし折られたが、伊藤の賭けは吉と出た。中井の目標が明確になっていく。目標は世界だ、グランドスラムだ、と。テニス部内での生意気な態度は鳴りを潜めた。そんな暇が無くなる程、テニスに集中していったからだ。二年生ではまだ芽が出ず大学テニスのタイトルは取れなかったが、三年生になると連戦連勝。この頃になると、にわかに世間の注目が集まる様になってきた。スポンサーが付く様になってきたのである。

だが、結果としてこのスポンサーが付いてしまった事が、中井の正確な判断を狂わせてしまった。

まだまだその段階でもないのに、ひょっとして、世界を獲れるかもという、大きな勘違いをさせてしまったのだ。

中井及びその周辺関係者が目標として視野に入れていたのは、秋に開催される『東京オープン』だった。日本で開催され、ある程度の賞金があり、一定の集客が見込める数少ない大会である。主催者はATPツアー大会の昇格を目論んでおり、事実翌年には実現している。従って文字通りプロ、アマを問わず誰もが参加できるものとしては今回が最後だった。中井はアマチュアとしての目玉選手だったのだ。