ホー・チ・ミン手植えの木

身體在獄中

精神在獄外

欲成大事業

精神更要大

ホー・チ・ミン『獄中日記』

 

一九八〇年、タイのバンコクにあるチュラロンコーン大学の政治学部に留学していた頃、笑顔が印象的なウィラットという学生と懇意になることが出来、会員が私と彼の二人のみという読書会をキャンパス内の木洩れ日のさす木陰でいそしんだことがあった。ウィラットは、読書会用の文献の選択はいうに及ばず、タイの歴史、政治及び経済のみばかりでなく、タイ語の専門語彙等に関しても懇切丁寧に教えてくれた。ウィラットは、勉強会の良き仲間というよりは、私の良き師匠であった。

また、勉強以外でもナコーンパトム、コーラート、ロッブリー、シーラチャー等への旅に一緒に出掛け、気心も知れたウィラットは大学における一番の親友となった。チットラダー宮殿の近くにあった私の下宿先でも二、三度読書会を行ったことがあった。

ある日、ウィラットは、下宿のおばさんから、生い立ち等に関し種々聞かれたとして、ちょっと寂しそうな顔をしたことがあった。何故、あの時ウィラットがそのような表情をしたのか、当時は良く理解出来なかった。それ以降、ウィラットは誘っても私の下宿には来なくなってしまった。

ある日、戦勝記念塔のすぐ隣にあるキリスト教系の学生を対象とした学生寮にウィラットを訪ねたことがあった。ウィラットの部屋でだべっていると、ウィラットは真剣な顔で「実は、自分はベトナム難民の子供なんだ」と私に告げた。良く事情が飲み込めなかった当時の私は、ただ「マイ・キオ」(どうでもいいよ)、そんな言葉を無意識の内に投げ返した様な記憶がある。