八歳の秋に、風邪をこじらせ、肺炎になってしまい、長い入院生活を送りました。ひと月間、意識を失い、生死をさまよいました。

意識が戻った時、すぐ感じたのは、左耳の頭の奥までえぐられるような、ギュンとした痛みでした。高熱で鼓膜が破れ、中耳炎になり、血膿がしたたり落ちていました。もちろん、音も聞こえません。

体はやせ細り、立ってはみたものの、二歩も歩けず、よろめいて倒れました。周りの大人から、

「死ぬところだったのが、助かった」と聞かされ、(死ぬって、どういうこと?)と、理解ができず、毎日ぼんやり、その事ばかり考えるようになりました。

意識のなかった期間の事を思い、それがずーっと続くのが死なのか?と思うと、自分という存在がいなくなる事に、言いようのない恐怖を覚えました。

そして、それが助かった!という事が、どういう事なのかを考えました。両親やお医者さんのおかげ。それから、神様という、聞かされてなんとなく知っているけれど、目には見えないその神様のお力、そのおかげだ!と、幼心に、理屈ではなく、なぜか強くそう感じました。

まだ、感謝という言葉も知らない頃でしたが、私は、見えない力の大きくて、あたたかな優しさを、小さな胸の内で抱きしめました。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『しあわせ白書』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。