僧侶の役割は仏陀の教えを説き、人々を苦しみから救うことのはずですが、逆に人々に苦難をもたらしており、これは既に僧侶ではなく、僧侶の皮を被った犯罪者です。

朝鮮の仏教は384年に晋から胡僧の摩羅難陀がやって来たことから始まったとされています。統一新羅の時代には仏教文化が栄えました。代表的な仏国寺には如来坐像・十一面観音像、梵天・帝釈天・文殊菩薩・普賢菩薩などが安置され、その他に147の寺跡があり、多くの僧が唐に渡って最新の仏教を学び、玄奘三蔵の下で学んだ僧もいます。また、念仏による救済を説いて浄土信仰を広げた元暁も居ました。

それなのに、高麗の仏教はなぜこのように堕落してしまったのでしょうか。『朝鮮史1』の「第4章 高麗前期」の「5 高麗盛時の社会と文化」には「仏教とその他の宗教」として225ページに次の記述が見られます。

[仏教は鎮護国家の宗教と観念されて手厚く庇護された、僧侶の登庸試験として僧科(スングァ)が実施された。合格者には国家から、禅宗(ソンジョン)のトップを大禅師(テソンサ)教宗(キョジョン)のトップを(スン)(トン)とする位階((スン)())が与えられた。また国家・王室による仏教崇拝の象徴として、高僧が国師(ククサ)王師(ワンサ)に任じられた。

こうしたなかで、(ヨン)灯会(ドンフェ)八関会(バウルグァヌエ)仁王(イヌァン)道場(ドジャン)をはじめとする各種の仏教儀礼、飯僧(僧侶に食事を供すること)、仏典の収集・刊行などの事業が、国を挙げて推進された。仏寺の造営も盛んであり、開京には法王寺(ポブァンサ)(ワン)輪寺(ニュンサ)興国寺(フンググサ)など十カ所の大刹のほか、多数の寺院が建立された。]

ウェブサイト「八関会とは─コトバンク」の「世界大百科事典 第2版の解説」八関会(はちかんえ)に関して次の説明があります。

[八関会は朝鮮,高麗の国家的祭礼で(ねん)灯会(とうえ)とならぶ二大国儀の一つ。〈はっかんえ〉ともいう。本来は入信者に八戒を授ける仏教の儀式であった。新羅時代からその名が見えるが内容はわからない。高麗時代になると仏教色はうすれ、天霊・五岳・名山・大川・竜神などの土俗的な神をまつり収穫を祝う祭礼に変わった。例年11月15日前後の2日間行われた。第1日の小会では、国王の祖先拝謁、太子以下京官・外官の朝賀、楽戯の観覧と酒宴が行われ、第2日の大会では、小会とほぼ同様の儀式のほかに宋商人、東西蕃子(東女真と西女真)、耽羅(済州島)人などの外国人の朝賀と宝物献上が行われた。]

本来は大切な仏教行事だったはずの「八関会」も、楽戯の観覧と酒宴の催しであり、宋商人など外国人から宝物を献上させる場になってしまっています。高麗社会全体が仏教を形骸化させ、享楽を求め堕落していたとも見えます。これでは末端の僧侶が地方の下級官吏や農民を下僕のように扱い苦しめていても仕方ないと言えます。

また、寺院にも存在する奴婢制度がもたらした人を人とも思わず酷使することを、僧侶に習慣化させた影響もあるように思います。高麗社会は奴婢を人とは見ておらず、便利な道具であり、財産として見ていたと伝えられています。そして奴婢に近い農民や下級官吏に対しても、酷い扱いが習慣化されたのだと思われます。

※本記事は、2020年11月刊行の書籍『韓国の歴史を直視する 朝鮮通史から問う反日の矛盾』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。