第1章 公女の西進

「本当よお」

マワーラの左の眉がピクリと上がった。この子が嘘をついている時のしるしだ。

「ウチのチビに行かせよっかな」

「叔父さんの家って、ワジ(れ川)の向こうでしょ。チビの足じゃ夜になっちゃうわ」

「じゃあ、サクッと行って来てよ。いつも村で一番足が速いって自慢してるくせに、できないの?」

「できるわよ!」

目的の場所はそう遠くない。ただ、途中にあるワジがやっかいだ。水流の跡だったのが、七年前の大水おおみずでえぐれてしまい、ロバ車も通れなくなってしまった。浅い所まで迂回すると、かなり遠まわりになってしまう。

あたしは、くずれやすい斜面をかけ下り、波をうってかたまったカチカチの底をわたって行った。マワーラの叔父さんはウルト城に出かけていて留守だった。叔母さんに品物をあずけると、またワジの底を走った。

村の入り口まで帰って来た時、すこしだけ立ち止まり、胡楊こようの林に目をやった。風が吹いていた。樹の上に、うっすらと銀色の山なみが見える。北にうかぶ山を、村ではテングリさんと呼んでいる。

本物のテングリさんは、はるか彼方だ。ウルトはそのはしのおまけみたいな所にある。砂漠を越えた先に、テングリ・オーラ天山は、空と大地をつないでそびえている。その大山脈の西にキジル国があり、先にはまだ道がつづいているという。

ずっとテングリさんに問いかけてきた。空の下にあるものを、すべて見たいのです。どうすれば、それができますか? いつかだれかが、ここから連れ出してくれる。山をあおぎながら、あたしはそんな空想にひたってきた。時おり村にとどく、遠い土地の話を胸の箱にしまいながら。

ウチには縁談がきているらしい。相手は南村の吹きヒゲ。いつも一人で笛を吹いている男だ。ヒゲの奥の口はめったに開かず、声を聞いたことがない。たぶん、この宴がおわったら、母さんが話すのだろう。

「今日はケンカしないのよ」

髪を結い直しながら、母さんが言った。

「ケンカなんてしたことないわ」

「昨日、マワーラが大泣きして帰ったそうだけれど」

「マワーラがまたチビをいじめたの。あたしはチビに代わって、『いじめ反対!』って伝えただけ。あいつ、ぽちっ子ばっかりいじめるのよ。中身スッカスカで性格ひん曲がってるの。オンボロのつるカゴみたい」

「そんなこと、うちの柵の中でしか言ってはだめよ」

とたしなめながら、母さんは三つ編みが曲がってしまうほど笑った。今日はめずらしく、長々と小言を言わなかった。ぽちっ子とは、もらいっ子のことだ。いろんな事情で、旅人が途中の村に子どもを残してゆくことがある。