プロローグ

あの、中国武漢から、世界に拡散していった、新型コロナウイルス。それにより、僕の生活と、僕は、どのように変わり、どのように日々を過ごして、どのように考え、危機を乗り越えていったのか? この本に綴った。

……生き残った証にね!

・2020年3月(令和2年3月)

仕事が無くなった。働いていた、ホテル内のレストランが、新型コロナウイルスの影響で、休業してしまったのだ。いつ終わるとも知れない、「コロナ休暇」は始まった。

コロナ休暇の日々で、母を思い出しながら…

3月12日

ある朝起きた、夢か幻か? まだ続いている、コロナ休暇……ピンク地に灰色水玉の模様のチャンチャンコ、母の形見だ! 春先のまだ寒い冬のような日の早朝、庭に出てそれを着て、朝日が昇って来ないかな~って、東の方の空を見遣っていると、道路を挟んだ前の家のお婆さんが、向こうのキッチンの窓の方から、ッと笑った。その声が聞こえた。(僕の母が笑ったのかも?と一瞬思った)。コロナ休暇でしている僕の有様を見て!

ピンク地に灰色水玉の模様のチャンチャンコは、先年98歳で息を引き取った母が、亡くなる直前まで着ていたものだ。そんな色調のチャンチャンコを着ていて、庭をうろついているのだから、笑われるのは仕方ないものだが。

僕の家の庭は、ちょうど100坪ほどの敷地に、35坪程の家を建てた残りほどの広さだが。場所はというと、埼玉県の「北本市」というかなりローカルな場所で、地図上では埼玉県のど真ん中に当たり、上下に県北・県南となっている。住宅はそれほど密集してはいない、結構畑や空き地が点在しているなところだ。

こうして、自宅の庭に出て、陽が昇るのを早朝に待っていると、現代のただしい時期に、こせこせと日常を過ごしている、僕の生活の疲労感が、かなり薄らぐ! つまり、一日の始まりが、こうで、僕はその日の時間を濃く過ごせるような気持ちになって行くのだ。

……今は「コロナ休暇」という特異な時期で、毎日することもなく、時間をもて余してはいるが……?

ピンク地に灰色水玉の模様のチャンチャンコを先年死の床まで着ていた母は、当然、年老いていたから、例にれず、小柄な体形で、若い時よりも丸まって、介護されている時でも、ユーモア・センスたっぷりの行動で、皆を笑わすような、お婆ちゃんであった。それでいて、大正時代の生まれでもあり、戦争をり抜けて来ているので、としたところもあり、僕ら子供達にも、結構、厳しく接して来ていた。

その母も、先年12月23日、つまり、先の天皇陛下(現、上皇様)の御誕生日と同じ日に、亡くなってしまった。そんな記念日とも重なるので、僕は色々はっきり覚えている。

母親というものが亡くなると、やはり誰でもそうであるように、男の僕も、かなり、ガックリと来るもんで、僕は5人の末っ子で、男は一人であり、人一倍甘えん坊だったせいもあり、だった。

そういった思い出を秘め、しばらくは、過ごしては来たが、……一年が過ぎ、まだまだ、「コロナ休暇」の日々が続くような、寒い、こういった日の早朝には、ちょっとだが、僕はピンク地に灰色水玉の模様のチャンチャンコを着て庭に出てみるのだ。