FDRは国家債務を実に190億ドルから420億ドルへ120パーセントも増加させたのだ。戦争はなかった。その代わりフーバーの大恐慌が続いており、1937年から1938年には深刻なテクニカルリセッションがあった。彼は最初の2期において、外国の敵と戦争しているのではなく、国内で失業、栄養不良、デフレそれに未開発の田舎に対する「戦争」をしていた。

この戦争において、国の財政赤字はイギリスのジョン・メイナード・ケインズのアドバイスもあり、織り込み済みだった。それでもFDRがこの最初の2期において国家債務に与えた影響は平和時の通常支出を遙かに超えるものだった。

大恐慌に対し彼が実行した緊急策は、小さな政府という政策を永遠に終わらせてしまった。FDRと下院が最初に、そして現在も最大である保障制度である社会保障を制定したのは1935年だった。

この制度により定年退職者に支払を約束する予算外の偶発債務が生じることになった。社会保障制度の政治的キャッチフレーズとは社会保障制度は「給与から所得税が源泉徴収される時に保険料が支払われます」という1935年当時のインチキで、現在もインチキのままだ。

社会保障は常に先払いにより、若い労働者に定年退職者の年金を支払わせる仕組みで、本当の保険であれば、人生において保険料の支払とその受益に関係があるのに、社会保障ではそれがないのである。当時と現在の違いとして、戦後ベビーブームの世代が成長し、1960年代に労働市場に入ってきてからの数十年は社会保障のキャッシュフローはプラスだった。

2008年からベビーブーマーが定年退職の時期を迎え、現在は社会保障のキャッシュフローはマイナスになっている。この責任をFDR一人に押しつけることはできない。保障制度はこの数十年間下院とホワイトハウスにより誤った管理がなされてきたからである。現在の財務的爆弾の導火線に火がつけられたのは1935年だった。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『AFTERMATH』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。