それでも初めのうちはなかなか聞き取りにくく、奥さんの通訳なしにはわからなかったのですが、そのうちにだんだんわかるようになってきました。

そして、この秋田のNさんが行動力旺盛で、とても生命力に満ちていらっしゃることに気がつきました。病名を告知された後に町長選挙にうってでられたとは。

普通ならショックを受けて家に引きこもりがちになってしまうのではないかと思います。選挙中は病気を知られてはいけないと、奥さんも必死に動揺を隠して選挙カーに乗り、すでに握手のできなくなっているご主人に代わって、心の中で「もし本当に当選したらどうしよう」と不安に思いながら、町民と握手をして廻ったということでした。

選挙には落選したけれど、ご主人は変わらず地域のリーダーとして、減反政策反対運動のためあちこち駆けずり回られていて、明日は農水省のお偉方に直接会って陳情することになっている、と淡々とおっしゃったのです。ご主人曰く、

「手足が動かなくても、頭があれば、人を使って何でもできるのだ」

「K(会の発起人)は病気にならなかったら、あんなに立派な人間にはならず、ただの喫茶店のオヤジに終わっていた」

「気持ちが落ち込んでうつ病になるのが一番良くない。病状を悪くするだけだ」

「善一さんはまだまだ若いし、病気もたいしたことはない」

「仕事はカメラマンだけではない」

などなど、ご自分の病気の重さを忘れたかのように、私を励ましてくださいました。奥さんも、

「50歳過ぎて主人がこんな病気になり、人生も残り少ないから諦めねばならないのだろうけれど、人生最後にここでもう一回花を咲かせたいと思っているときにこんなことになってしまって、開き直れるまではずいぶん苦しみました。あなたもご主人もまだ若いので、なかなかふんぎりがつかないでしょうが、早く気持ちを切り替えて、今の仕事に執着するのはやめて頑張りなさいよ」

などと言ってくれました。Kさん、Nさん、ともに生きることに目的意識をもって明るく生きていらっしゃいました。その日早起きして、島原から車を運転し、東京へ着いてもいろいろ緊張の続いていた私は夜11時近くのそのとき、正直言ってまぶたがくっつきそうなくらい眠くて仕方がなかったのですが、滅多に聞けない貴重なお話を一言も聞き漏らすまいと、最後まで真剣にお話をうかがうことができました。お二人とも、善一さんと話がしたかった、と残念そうでした。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『ALSと闘った日々』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。