「ですから男になるのです」

「男になんかなれるもんか。大事なもんだって付いてないくせに」

「百合は女なのですから、そんなものは付いていません。でも学問や剣はそんなものが付いていなくても、ちゃんと出来ます」

「じゃあ何か、俺よりうまく出来ることがあるか。あったらお前のこと認めてやらあ」

「百合は走るのが得意です。それに木登りも出来ます」

「では、あそこの楠木まで競争してみろ。お前が勝ったら許してやる」

智明はもう走る用意をしている。百合は自分の格好を眺めた。今日は長めの着物を着ているし、今は庭下駄を借りてはいていた。

「ちょっと待って下さい」

そう言うとさっさと庭下駄を抜き、着物の裾を端折って、準備をする。その間にもう智明は走り出していた。百合は大急ぎで走り出した。楠木はそんなに離れていなかったので、百合が追いつきそうになったところで、二人は楠木にたどり着いた。

「なんでえ、大したことないじゃないか」

「今のは智明さんが先に走り出したからです」

「ふん、生意気だな。ではこの楠木に登れるか。登れたら認めてやるぞ」

百合はその大きな楠木を眺めた。手の届く高さには横枝がなく、幹は少し曲がっているが太く、手掛かりは全くなさそうであった。百合はじっくり眺めて間合いをはかった。

「登れると思います」

それを聞いて、やっと楠木まで追いかけてきた来た千春が息を呑んだ。

「智明兄さんの言うことことなど放っておけば良いのです。怪我したらどうするのですか。へたしたら死んでしまいます」

「大丈夫。このぐらいの木はいつも登っていますから」

そう言うと、百合は楠木からかなり離れた所まで後ろ向きに下がっていき、もう一度じっくり間合いをはかると、いきなり凄い勢いで走り出した。そして楠木のちょっと手前で飛び上がると、太い幹を駆け上がるように足で蹴ってもう一段飛び上がり、一番下の横枝に飛びついた。そして両手でブランとぶら下がると、その勢いのまま体をくるっと上へ回すようにしてその横枝の上に上がり、立ち上がった。

それこそあっという間の出来事で、見ていた誰もが息を吞んであっけにとられている。そこから先は簡単で枝を次々上へ上へと登っていき、いくらもたたずにほとんどてっぺんまで登ってしまった。

子供たちの騒ぎを、座敷の縁側に近い所から眺めていた智則は、大声で笑い出した。

「なるほどなるほど、これは確かにちょっとしたものだな」

「笑いことではない。あれでは嫁の貰い手もなかろう。今回のことは、苦肉の策だ。」

「なかなか楽しみな子ではないか。気に入った。この先何かあったら私が責任持ってあの子の後見になってやる。安心しろ」

この従兄は昔から豪放磊落で誠に誠に屈託がなく、聡順とは良く気の合う友でもあった。

これで百合のことは何となんとかなるだろうとほっとするとともに共に、これではいよいよ女子に戻るのは難しくなるなと相反する気持ちにもなる。矛盾しているようだが、父親の気持ちというのは複雑なものなのだ。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『遥かなる花』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。