東京の大家さん

今まで何度も引っ越しをしているが、わりと大家さんには恵まれている。すぐに仲良くなれる。

富山県高岡市のアパートに住んでいた頃も大家さんからは可愛がられ、畑で採れた野菜をいつも分けてくれた。

「このきゅうり不細工やろ、でも味は美味しいから食べられ」

八王子にいた頃もそうだ。大家さんはまるで母親のように私のことをいつも気にかけてくれていて、頻繁に電話をくれた。

「橋岡さん元気? たまに顔を見せてね。橋岡さんがいると心強いのよ。何でかしら。生きることに必死な人って大好きなの。橋岡さん、人懐っこいから皆から可愛がられるでしょ。知らない街で良くやっていると思うわ」

この大家さんは私に保証人無しでアパートを貸してくれた。ボロボロの一軒家の二階だった。一階には住人がいなかったので、私は一軒家に一人で暮らしていたようなものだった。古くて狭い家なので誰も借り手が見つからなかったらしい。

浴槽はなくシャワーのみ。トイレも和式だったものを私が勝手に洋式に変えた。ふすまを取り除きアコーディオンカーテンを取り付け、小窓にはブラインドをかけた。

外階段はとても急斜面で、酔っぱらって踏み外したら一巻の終わりだろうなといつも思っていた。転ぶことはなかったが、ヒールで昇り降りするにはかなりの危険性があった。

玄関の鍵も壊れかけていて、ドアは強風ですぐに開いてしまうようなボロボロの造りだった。八王子駅付近で保証人無しで借りられる物件はここしか無かった。

二カ月のカプセルホテル生活の後、最初はスーツケースと布団しかなかったが、後に電化製品を買い揃え、室内も改造した。住み心地は良くなったが、職場が変わったためたった六カ月で国分寺へ引っ越ししたのだ。

アパートの引き渡しの際、大家さんは涙を流していた。

「橋岡さんが八王子を出るなんて、なんだか八王子ももう終わりだっていう感じがするわね。仕事も家もないのに八王子に来て、天使みたいだったのよ。なんだかワクワクして、お金が貯まってこのアパートに入ってくれた時は本当に嬉しかった。こんなに早く出て行っちゃうなんてね。だけど、橋岡さんなら大丈夫よ。警備の仕事をするなんて考えられないわ。橋岡さん、逞しいわ。だから余計に寂しくなっちゃうのよ。もう行くわね。涙が止まらないの。橋岡さん、また会おうね」