ここでアイドル的人気を得たオコンナーは、兵役や舞台への復帰をはさんで一九四七年にスクリーンへ戻った。以後彼は、主役をはれるコメディアンとして多くのコメディー映画やミュージカルに出演していく。

殊に一九五〇年からは、喋るラバ、フランシス・シリーズ(後のテレビシリーズ「ミスター・エド」の原型)に主演し、大衆的な人気を不動のものにした。

またテレビでも「コルゲート・コメディー・アワー」のホストの一人を一九五一年から務めるなど活躍し、歌に踊りに演技にと、その多彩な才能を賞賛されるようになった。

しかしユニバーサルには新時代に即した一級のミュージカル映画を製作するだけの力がなく、オコンナーにとってはさらに一段階の飛躍を遂げる舞台が必要な時期にさしかかっていた。

ジーンの恋人キャシー・セルダン役には、スタジオ所属のデビー・レイノルズが選ばれた。一九三二年にテキサスのエルパソで生まれたレイノルズは、後に一家でカリフォルニアのバーバンクへ移り住む。

十六歳でミス・バーバンクに選ばれた彼女は、間もなくワーナーブラザーズと契約するが、二本の映画に端役で出演しただけでMGMへ移籍。

フレッド・アステア主演の「土曜は貴方に」(’50)に顔を出した後、「ツー・ウイークス・ウイズ・ラブ」(’50)でジェーン・パウエルの妹役を務めた。

この映画で彼女が歌った“アバ・ダバ・ハネムーン”がそこそこのヒット曲となり、映画の宣伝公演ではかなりのファンが集まったという。

しかし女優としてのキャリアに乏しく、ダンスの経験も基礎的なステップを一年間習ったにすぎなかった。そんな彼女がジーンの相手役として抜擢されたのは、スターを作りたいルイ・B・メイヤーの意向が大きかったと言われている。

レイノルズの記憶によると、一九五一年の春メイヤーのオフィスに呼ばれた彼女は、“雨に唄えば”と言う作品でジーン・ケリーと共演するようにと告げられる。

ジーンもすぐにその場に呼ばれた。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『踊る大ハリウッド』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。