東京芸術大学を出て、タイの音楽を学術的に研究した女性がいる。その後、慶應大学にて講師を務めていた種瀬陽子さんである。主要な本屋にも「タイ」や「東南アジア」に関する文献が皆無であった頃、タイ事情に関し、種瀬さんから種々聞かせていただいたことがあった。

種瀬さんの研究テーマを尋ねてみたが良く理解できなかった。簡略化すると「タイ音楽のリズムと歌詞の声調との関係」である。おわかりかな? 要するに、歌の最後のリズムが下がって終わる場合、仮にその最後の歌詞の声調が逆に下から上がるライジング・トーンの場合に問題とならないか。そういうことを研究したらしい。

そう言えば、タイ語の歌詞に普段使わないような難しい語彙がたくさんみられる。それは、リズムに合わせる為にリズムと同様の声調を持つ類義語を使用せざるを得ないからなのであろう。

当時、そんなタイの音楽を研究している人が、我が同胞にいるのが不思議だった。「タイのゲーンの演奏とその説明 種瀬陽子」、最近帰国する機会があった際、そんな看板が立っているのを偶然発見して驚いた。時間がなく、泣く泣く会場の傍らを通過した。

花のニューヨークに駐在していた際、その昔、カンボジアで僧侶になったことがある先輩が、出張でニューヨークにやって来たことがあった。折角の機会なので、ミュージカル「南太平洋」の特別公演の切符を何とか入手し、二人で出かけた。「魅惑の宵」等、昔映画で聞いた懐かしい歌が随所に出てきた。

クライマックスの「バリハイ」の歌が始まったところで、何か雑音が聞こえ始めた。グゥーグゥーと風が泣く様な音である。「バリハーイ、(グゥーグゥー)、バリハーイ、(グゥーグゥー)」、臨席の人達の刺す様な目線が異邦人に向かって来た。隣を見る。あろうことか、その音の出所は先輩であり、眠りながらいびきをかいていたのであった。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『タイの微笑み、バリの祈り―⼀昔前のバンコク、少し前のバリ― ⽂庫改訂版』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。