二人にしてもシナリオ作りに何か当てがあるわけではなかった。グリーンは後に当時のことを次のように語っている。「僕らにわかっていたのは、映画のどこかで誰かが雨の中でこの唄を歌うんだろうなということだけだった(49)」二人は副プロデューサーのロジャー・イーデンスが弾くピアノや歌で、何時間もフリードの曲を聴き続けた。

曲のイメージからストーリーの発想を得ようと試みた。考えあぐねた末にたどり着いた先は、曲が作られた一九二〇年代末から三十年代始めのハリウッドだった。ちょうど無声映画がトーキーに移行する時期である。

当初考えたプロットは、売れない西部劇俳優がトーキーになって歌うカウボーイとしてスターに登りつめるというものだった。だが、それ以上に発想が広がらず、このアイデアは捨てられた。

代わりに、この時期に起きた撮影時の混乱など技術的な側面に着目しようと考えた時、アイデアが回り始めた。一九一四年生まれのグリーンと一九一七年生まれのコムデンにとって、この時期のことは記憶に鮮明だった。二人が子供時代から思春期にかけて見た映画の中に、面白いネタはいくらでも転がっていた。

サイレント時代の大スターが下手な台詞回しや言葉のなまり、イメージに合わない声質のせいで一夜にして消えていった。逆にグレタ・ガルボなどは、スウェーデンなまりが自身のキャラクターにピタリとはまり人気を保ち続けた。それから十年も経たない内に、コムデンとグリーンはレヴューアーズを結成し、この頃の出来事を題材にしたコントを演じていた。

スターの口の動きと録音したセリフがずれたり、マイクからの距離によってセリフや効果音に強弱が生まれるといったギャグはそのまま脚本に生かされた。

八月に第一稿が出来上がったが、その後も修正を繰り返し脚本が一応の完成を見たのは十月であった。無声映画のスター、ドン・ロックウッドはファンが詰めかけた新作映画のプレミア公開の場でインタヴューを受ける。

側には恋人役のスター、リナ・ラモントや下積み時代からの相棒コズモ・ブラウンがいる。リナはドンが自分のことを愛していると、一方的に思い込んでいる。上映後、押し寄せるファンから逃れたドンは、たまたま乗り合わせた車でキャシー・セルダンという娘と出会う。

自分は舞台女優を目指していると嘘をつき、サイレント映画の演技を馬鹿にするキャシーに腹を立てるドンだが、反面どこか気になる存在となる。完成記念パーティーに赴いたドンは、余興のためナイトクラブから派遣されてダンスを踊るキャシーを見つける。キャシーを追うドンだが、嘘がばれた彼女はその場を逃げ出す。

その頃初めてのトーキー映画「ジャズシンガー」の成功に刺激を受けた社長のシンプソンは、ドンとリナを主演に撮影中の「闘う騎士」を急遽トーキーにすると言い出す。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『踊る大ハリウッド』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。