救急隊員の質問にある程度答えて、自宅の電話番号まで答えた後、意識を失った。

「バイタル200!!」という救急隊員の声を聞いた所まで覚えている。そこへ、親友で看護師でもあるYukoさんが駆け付けた。彼女は救急車のサイレンと停車した場所を見て『もしかして……』と思い、子どもさんと走って来てくれたのだった。

子どもさんから、私がバスから荷下ろしの最中に転倒し立ち上がれなかったことを聞いていたらしい。たまたま研修に参加していた若者の一人が、親友の子どもさんだった。

しかし、彼女はたまたま子どもさんを迎えに来ていたのではない。空港から帰りの大型バスの中で、Yukoさんに連絡をした。子どもさんは疲弊していた。

私はスーツケースを留めるベルトを貸したほど、子どもさんの荷物は帰りのお土産などで増え、スーツケースが閉まらなかった。

そして帰りのバスの車中で、疲労困憊であることを訴えてきた。その大荷物を持って、夜、解散後に自宅まで帰れるか、心配だった。他の若者も疲れていたが、迎えがある者、複数で帰る者もいた中で、一人で帰るのは厳しいだろうと判断し連絡した。

忙しい彼女だったが、すぐに電話に出てくれた。

「仕事中にごめんね。飛行機遅れて今、帰りのバスに乗っているけど、子どもさん、とても疲れているから迎えに来てもらえたらと思って」

「ちょうど今、仕事終わったから迎えに行ける。何時頃、到着しそう?」

車中で

「お母さん、迎えに来てくださるって」

と、Yukoさんの子どもさんに、そっと伝えた。これは後から聞いたことだが、Yukoさんは、救急隊員と話をしてくれ、家まで母を迎えに行ってくれた。

また、同僚のKさんは、救急車に乗り病院まで付き添ってくれた。

Yukoさんは自宅の母に電話で、私が倒れて救急車で運ばれたこと、今から迎えに行くことを伝えて、車を走らせた。私の自宅に行くのは、中学生の時以来だったようだ。

自宅……実家である。

私は一度、実家を出ていたが、父が病に倒れた頃から実家に戻り母と生活していた。親友が自宅に着いた時、母は出発の準備ができていたそうだ。

しかし、事態の深刻さを把握できていなかったのか、

「久しぶりね、ごめんね、迷惑かけて。そうそう、ちょうど田舎からお米を送ってきて、少しもらって!」

と言いながら、お米を出して来て、お煎餅の用意まで始めたそうだ。

「おばちゃん、ありがたいけど、そんな場合じゃなくて、大変だから、急ごう!」

「まあ、でも用意してあるから。私、車に乗れるかしら。体が重たいし」

そんなやりとりを経て、Yukoさんの車で母は病院に無事到着。

膝が悪く歩行が厳しい母のためにYukoさんの子どもさんが、すぐに車椅子を持って来てくれ、母を乗せ押してくれたそうだ。