「生きる」とは人生に自分の詩を創ること

福祉の話で覚えていることがある。

だいぶ前の話になるが、テレビで福祉の政策について議論をしていた。ある議員が

「あまり福祉に金を掛けすぎると、働いている人の労働意欲が低下してしまう」

と話した時、ユニセフの大使としても活躍していた、香港出身の歌手の人が、

「あなた方は福祉を、裕福な人が貧しい人に布施を行うように考えているのではないですか? そうではないですよ。働いている人も社会の中で自分の役割を果たしているに過ぎないのです。家族のようにお父さんだけが働いていても、寝たきりのおばあちゃんも子供たちも、皆大切な家族の一員でしょう。理由があって働けない人も、親のいない子供たちも、障害があって社会生活が困難な人も、みんな立派な社会の一員なのですよ。その人たちが皆幸せになるためにはどうしたらいいか、という話なのですよ」

と話していた。良いことを言うな、と思って聴いていた。

私たちが暮らしている社会とは、そういうものだと思う。人の生き方はそれぞれだ。どの生き方が良いとは言えない。70億人には70億通りの生き方がある。

ただ自分がどう生きていきたいのか、それを人生という白いキャンパスに絵を描くように、白いノートに自分の詩を綴るように生きていくことが、自分の人生を生きていく、ということなのだと思う。

だから、他人の人生についてはあれこれ言わない。他人から自分の人生について、あれこれ言われても気にしない。

ただ、自分の好きなように生きるとは、勝手気ままに生きるのとは違う。自由と奔放は違うのだ。

自由というのは、現実や社会という制限の中で、それらを乗り越えながら、獲得していくものだと思う。義務や責任を果たしていった人が、次第に権利や自由を獲得していけるのだ。

厳しい現実の中で、自分の生き方を貫いていくには、しっかりとした自分の軸が必要だ。車もあまり通らない、狭い道の信号機の前では、赤信号でも結構渡って行く人がいる。

それがいいとか、悪いとかという話ではない。ただ、自分は青に変わったら渡ると決めて待っていると、自分の中に生き方の芯が出来ていくような気になる。

強風で道に倒れている自転車を立て直す。相手が忘れていそうな小さな約束も、必死に守ろうとする。そんなとき、自分を少し好きになっていく。そんな小さな行動、小さな習慣の中で、自分の生き方の軸が育っていくのではないかと思う。

どう生きていくかは人それぞれ自由であるが、上手に生きていきたいならば、「宇宙の法則」に沿って生きていくと、上手く生きていけるように思う。

宇宙の法則の中で、物理現象は科学の発展とともにどんどん解明されてきているが、人生や社会にもこの「宇宙の法則」があると思う。

「99回不正に成功しても、100回目に露見したら、それまで得た以上のものを支払うことになる」「愛せば愛されるし、憎めば憎まれる」「不平不満を言うと、ツキがなくなる」「誠実な人は信頼されるし、素直な人は伸びる」……。

因果関係はよくわからないが、何か法則がありそうだ。万有引力や川の流れに逆らって進んでいこうとしても、上手く進めないように、宇宙の法則に逆らっては、上手く生きられない。

ただ、こう生きていけばいいと頭でわかっていても、すぐには身に付かないし、いろいろなことが一遍には身に付かないものだ。少しずつ身に付けるしかない。