謎の訪問者、目的は?

「名前は山川レナて言います。ここに来たわけは……。すみません。中に入れてもらってからでは駄目ですか。もう疲れてしもうて。遙太も荷物も重たくて」

レナと名乗った娘が、額の汗を掌で拭う。梅雨時の不快な湿気が、肌に張り付く。見た目より重い遙太を抱き上げながら、ふと気づいた。この子を地面に下ろしたらええんや。腕を下げかけた途端、いきなり戸が開いた。

「葵さん。こんな朝っぱらから、何を騒いでるの」

同居人の希美さんが、髪にカーラーを巻いたまま顔を出した。

「何なの、その子。まさか、こんな早くから子連れの訪問販売?」

「ち、違うんです。これには事情があって――」

頭を下げるたびに、首の後ろで結んだ髪が胸元に落ちる。オレンジ色のTシャツにジーンズ、足元はズック靴。子どもは同じ色のTシャツにオーバーオールを着ている。

「希美さんも葵も、朝からどうしたん。台所まで、声が聞こえてるで」

ぱたぱたと廊下を走ってきたもう一人の同居人である和枝の顔には、枕カバーの筋がくっきりと残っている。起きがけの顔は和枝を尚おっとりと見せていて、口調は普段にも増してゆっくりだ。

「取り敢えず、中に入って貰うたら。見たところ、押し売りでもなさそうだし」

お人好し、それが利点でもある和枝のことばに、玄関先で彼女はぺこぺこと頭を下げる。何かにつけて仕切りやの希美さんが、和枝をちらっと睨みながらも、しょうがないな、と言うように戸を大きく開いた。

子どもを母親に返して、私は希美さんのあとに続いた。後ろから、ぱらぱらと土壁が落ちる音がする。振り向くと、子どもの指が壁を擦っていた。止めさせようと頭に触れると、子どもがにこっと笑いかけてきた。

台所に入ると、和枝が煎れかけていたコーヒーの香りが漂っていた。で、どういうこと? 希美さんが子どもを抱いた娘を指さす。指をさされた娘はわずかに目に険を滲ませながら、子どもを床に下ろした。

下ろされた途端、子どもはいきなり走り出し積んであった古新聞を散らかして、出窓の前に置いたソファによじ登った。希美さんが、あからさまに顔をしかめる。

「ねえ、門の所にインターホンがあったでしょ。普通、まずは外からでしょ。それが常識ってもんでしょ。いきなり、玄関先なんてあり得ない」

「すみません。見たら、門の鍵が開いてたんで」

元々、この家の門には鍵がついていない。不用心だと思いながら、長年そのままにして暮らして来た。

「ええやない、それは。まあ、座って。先ずは、もう一回名前を言うて。それと素性、なんでここに来たのかも、ちゃんと言うて」

崩れた新聞を集めながら、聞いた。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『月のいろ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。