風鈴が鳴った。

風鈴が鳴った。そよりとも風が吹いていない朝なのに、また鳴った。時計を見ると、まだ八時を過ぎたばかりだ。それでも、もう蒸し暑い空気が開けた窓から入り込んでくる。チリン。チリン。小さくなったり大きくなったりしながら、立て続けに鳴り出した。

この家を建てたときに祖母が買ったという南部鉄の風鈴は、もう六十年以上は経っている年代物だが、まだ澄んだ音を立てている。ベランダから庭に出て、表玄関に回った。梅雨の最中とあって、雑草が膝下ぐらいまで伸びている。

二十五年前に祖母が亡くなってからは、ほとんど手を入れていない。この丈では、祖父母も両親も草場の影に隠れてしまって、外の景色は見えないだろう。草抜きをしないと、そう思いながら庭を通り抜けると、錆が目立つ門扉が開いていた。

風鈴の音に混ざって、子どもの声が聞こえる。玄関に急いだ。じっとりとした汗が額に滲む。「あのう、どなたですか」背中から声をかけた。その声に、びっくりしたのだろう。玄関戸の前でまだ二十歳そこそこに見える娘が振り向き、抱いていた子どもを落としそうになった。

二歳くらいの子どもが、風鈴についているしおりを掴んでいる。ああ、これだったんだ。風もないのに、風鈴が鳴った訳が分かった。

「あのう。うちに何かご用ですか」

子どもが風鈴を諦めたのか、私に手を伸ばしてきた。

「あのう、すみません。この子、ちょっとお願いしていいですか」

重そうなバッグを肩にかけ、子どもを抱いた娘が頭を下げた。

「すみません。もう、重くて」

言い終わらないうちに、子どもは私の腕の中に収まっていた。人見知りしないのか、私の頬を触りながらきゃっきゃっと笑う。

「遙太、って言うんです。遙かに太い。ほら、遙ちゃん、ばぁばに、おはよう、って挨拶せんと」

ばぁばって? 返すことばを探すまもなく、私の足元に巨大なナイロンバッグがどさっと落ちた。えっ、ちょ、ちょっと――。私はそれしか言えないで、子どもの笑い声に、はいはい、なんて応えている。

「あのう、中に入れてもらってもいいでしょうか。もう蒸し暑くて。ここ、駅からけっこう遠かったし」

あっ、どうぞ。ってペースに嵌まってしまいそうになる。ちょっと、ちょっと待って。ドアにかけようとしている腕を掴んだ。子どもは下に降りたいのか、私の腕の中で反り返る。

「はいはい。ちょっと待ってな」

私の髪を指に巻き付けている子どもの手をほどいた。

「先ずは名前と、ここに来たわけを教えて。初めて会うた人を、はいどうぞ、って家に入れるわけにはいかへんやろ」