テキサスは1845年にアメリカに併合されることが事前に合意されていたが、メキシコとの国境はまだ決まっていなかった。テキサスはポルクの戦争の結果、アメリカに帰属することが確定した。

戦争による支出があったにもかかわらず、ジェームズ・ブキャナンの政権(1857-61)の末には国家の債務は65百万ドルであり、半世紀前にジェファーソンが大統領職を辞した1811年時点の金額と同じであった。

アメリカは2つの大きな戦争、米英戦争と米墨戦争、それに数多くの小さな小競り合いがあったにもかかわらず、この50年間に債務の増加がなかった。これは予算の余剰と平和時の慎重な支出を心がけた結果であった。

アブラハム・リンカーンの第1期に(彼は第2期に入った6週間目に暗殺された)アメリカは第2次大戦以前としては死者数で言うと最も人的被害の大きな戦争と、アメリカ債務の初めての急激な増加を経験することになる。南北戦争(1861-65)の期間、国家債務は65百万ドルから27億ドルへと400パーセント増加した。

この増加は実際の戦時危機局面で歴史上見られる債務状況といえる。もし借り手が戦争に負ければ、債務は関係無くなる。履行が拒否されるか、消滅する。多分、賠償金に切り替わることになる。もし借り手が勝てば、大破壊とその後の復興を通じて、債務を減らすのに充分な利得が生じるだろう。

どちらにせよ、一般市民や特に国内資金提供者は戦時における政府の借入につき疑問視することはほとんどない。債権者は国と運命を共にするのだ。南北戦争の債務は段階的に消えていった。南北戦争の終わり頃、27億ドルの国家債務は1893年には16億ドルまで下がり、ベンジャミン・ハリソン大統領の任期(1889-93)末で41パーセント減少となった。

1865年から1893年はアメリカが偉大なる経済成長を成し遂げた時期で、債務の対GDP比率は債務そのものより劇的に低下した。債務はウイリアム・マッキンリーが大統領の時(1897-1901)、1898年の米西戦争が原因で再び増加し、21億ドルとなった。アメリカの債務と戦禍の陰陽を描くもう一つのケースである。

このパターンは20世紀に入っても続いた。ルーズベルトがパナマ運河建設のための土地と権利の取得のために荒っぽい強硬な外交と50百万ドルを費消したにもかかわらず、アメリカの債務はセオドア・ルーズベルト(1901-9)とウイリアム・ハワード・タフト(1909-13)の任期を合わせた期間に21億ドルから29億ドルへと控えめに増加した。なおパナマの取引にはJ・P・モーガンがアメリカ財務省の財務代理人を務めた。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『AFTERMATH』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。