会場には思いもかけず大勢の参加者がおられ、さらにテレビ局数社からカメラマンやレポーターが来ており、大変な混雑振りでした。移動ベッドで気管切開している重症の患者さんがみえると、カメラライトが一斉につけられ、テレビカメラが動き出していました。善一さんは私に、

「インタビューを受けても絶対応えないように。映らないように」

と強く念を押しました。

「重症患者しか撮らないだろうから、まず大丈夫だとは思うけど。そのほうが映像価値が高いからね」

とも。

会の間、カメラが少しでも私たちのほうを向くと、善一さんは机に突っ伏すようにして顔を隠していました。翌朝のニュースで私たちが映ってなかったことを知って安心したようでした。

総会は、発起人であるKさんの感動的な挨拶から始まり、終始真剣でかつ和やかなムードで進みました。この会が発足できるまで、たくさんの方々の努力や苦労があったのだなあと、簡単にこの会への出席を決めた自分が少し恥ずかしい思いでした。

ALSという世に知られていない難病に立ち向かおうと、意志の強い行動力のある人たちが頑張って、この会が発足できたのだと気づかされたわけです。世に知られていないがための世間の偏見や誤解と闘うには、一人の力では小さすぎるのです。患者だけが悶々と孤独に苦しんでいたのが今までだったのです。それをKさんら多数の方々の尽力で、とにかくここまでこぎつけた。そういう印象でした。

発起人の中の医学関係者以外にも、全国から医学関係の方々が駆けつけてくれたことが大きな驚きでした。全国津々浦々から、多忙な中、貴重な時間を割いて、自腹で交通費まで出して来てくださった先生方がたくさんおられたのです。心も強くなろうものです。

一部の総会は白熱し、予定時間をオーバーして終わり、休憩後に開かれた二部の懇親会も、一部以上に熱気を帯びて進められました。それは、一患者が立場や環境を超えて、一流の先生方に直接質問ができるという夢のような機会だったからです。

司会者の方が、あまり意見が出ないだろうと見越して、名簿から無差別に指名して会を進めようとされていたのに、次々手が挙げられ、意見を発表したい、あるいは質問をしたいという人が多く、司会進行に苦慮されるほどでした。

遠方から来たということもあってか、善一さんは会の初めの方で指名されました。そこで、自分の簡単な病状説明と東洋医学についての質問をしましたが、中国でもやはり治療法は見つかっていないとのことで、大きく落胆してしまいました。

しかし、会の全体を通じて、西洋医学の薬や治療法に飽き足らず、鍼灸、マッサージ、整体などさまざまな東洋医学の治療法を試み、若干病状の改善が見られたという人の報告もあり、完全な治療法は見つかっていないとはいえ、どのタイプかの患者には有効なものもあるのだという確信も得ました。ですから、福岡のH病院の先生が仲介してくださった広州の病院から呼び出しがあれば、すぐにでも行こうという気持ちにかわりはありません。懇親会も予定の時間をオーバーしそうになりながら、午後5時過ぎに熱気のうちに終わりました。

横浜のSおじさん、Mおばさん、東京のYおじさんが、善一さんに会いに来てくださり、近くの中華料理店の座敷でゆったり座って心置きなくおしゃべりすることができました。私にとっては三人とも初めて会う方たちばかりなのに、以前から知っていたかのように和やかに話が弾み、大変嬉しく思いました。

Sおじさんたちは、善一さんのことをよく気にかけていてくださったらしく、いくつかの治療法や病院の連絡先などをたくさんくださいました。私たちのためにこんなにしてくださる方がいらっしゃるとは本当に驚きで感謝でいっぱいでした。横浜のご
自宅の庭の山草やお土産をいただきました。

「蜂蜜は重いし(おばさんの経営している養蜂場製)、荷物はしほりさんだけが持つのじゃ大変でしょうから、あとから送ります」

と細かなところまで気を遣っていただきました。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『ALSと闘った日々』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。