ALSは、国が指定する難病の一つで、原因不明、したがって治療法もない病気だった。

ブラックホールの研究で有名なホーキング博士も、ALSだった。

ALSになると、最後には人工呼吸器をつけて、24時間体制で入院することになる。人工呼吸器をつけたら、もう声を発することはできない。

瞬きや息などを使ってパソコンにつないだ文字盤で意思を伝える。体中の筋肉細胞の一つ一つが萎縮するので、体を動かすことができなくなるが、頭脳はまったく正常のまま。意識や思考は正常なのに、それを伝えることが非常に困難になる。とてもつらい病気だ。

いっそのこと脳が変になり、自覚がなくなれば、本人だけでも苦しみは減るのではと思う。その場合、周りがもっと大変になってしまうのかもしれないが。

3万人に一人、という患者の少なさから、治療法の研究がなかなか進まないらしい。ALS患者が集まり、声をだしていこう、という趣旨の会だった。

ALS設立総会から帰ってきて、義父母へ出した手紙の下書きが残っている。東京行きの一部始終を詳しく書いていた。長い手紙だが、善一さんの様子がよくわかるので抜粋してみる。

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先日東京へ行って出席してきたALS設立総会のメモをまとめたので送ります。善一さんはSPMAと診断されたので、ALS患者と状況が同じというわけではありません。

でも、私自身総会に出席して、かなりのショックを受けたことは隠しようもないことですが、総会に出席したことで、今まで霧の中にいたような感じだったのが、一気に頭の中が鮮明になったような気がしました。

大学病院の先生から直接には何も説明を受けていなかった私は、本屋で医学書を立ち読みしたり、大学の図書館で調べさせてもらったり、あちこちに電話をかけたり、できることをやってはいましたが、今ひとつ実感に欠けたところがあったのです。

総会で、現在の日本の医学界のトップレベルの方々(医療技術においても、ALSを絶対解明してやろうという意気込みにおいても)と直接お会いして、最新の情報を直接教えていただいたことは、本当に意義深いものでした。

それにもまして、私にとっては、東京の街を善一さんと歩いたことが、大きな意味を持ったことになりました。

それは、私自身が、善一さんの病状を正しく把握していず、心の中で現実を直視することから逃げようとしていたことがはっきりわかったからです。

毎日一緒に暮らしていても、家の中では歩くといっても知れていますから、善一さんの足がどんな状態なのかはっきりつかめません。

平地では、少し足を引きずって歩くだけで、そんなにはほかの人と違わないように見えたのです。

そういえば、この頃では、善一さんと街を一緒に歩いたことさえまったくありませんでした。

それが、東京へ行って、いやも応もなく歩く羽目になり、それは歩きやすい平地ばかりではありませんから、たいそう不自由な思いをさせてしまったのです。

特に、電車の駅の階段には閉口しました。段数が多いばかりでなく、時間を問わず人が多く、いつも人に押し倒されるのではないかと、軽い恐怖を覚えたりしました。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『ALSと闘った日々』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。