以前、古代史ツアーで春日市立埋蔵文化財収蔵庫・民俗資料館を訪れたおり、好々爺然とした亀井館長に「卑弥呼の墓は、どこにあったと思われますか?」と尋ねてみました。

すると、亀井さんは相好をくずして、ただニコニコと頷いておられました。その表情から、「それは、いまお前さんが立っているところだよ」と無言でおっしゃっているように受け取れました。

そういう場所にあって、地元の方が「奴国の丘」などと命名されるのはいかがなものでしょうか。

『魏志倭人伝』の正しい解釈を

『魏志倭人伝』の里程について、未だに連続式だとか放射線式だとか、不明瞭かつ不確実=主観主義史観に立った解釈が繰り返されています。

この資料館にこそ、時代をリードする正しい読み方が提示されてしかるべきではないでしょうか。

さまざまな資料を突き合わせていくと、博多の南郊にこそ、卑弥呼の宮殿と陵墓があったと推定されます。

私の友人は古代史には門外漢ですが、その直感でここが「福岡平野の、扇のかなめの位置を占めている」と看破しています。

今度訪れるときには、ぜひ「古代の真実について」正しい姿を発信してほしいと願っております。(二〇〇〇年十一月十九日)

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『 ―旅でたどる―神話の原風景 文庫版』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。