「女王の宮殿」の所在 ── 春日市長に宛てた手紙

博多在住の友人から、開催中の特別展「奴国王の出現と北部九州のクニグニ」の記念カタログが送られてきた。

十五年ほど前に訪問したときの様子を思い出しながら、懐かしく又楽しく拝見しました。

東京に住んでいると、なかなか思いつくままに出かけるというわけにもいかず、残念でなりません。

さて、特別展のカタログを見ていてどうしても気になった点について、二、三申し述べたいことがあり筆をとりました。

「奴国王」とは

『魏志倭人伝』によると、倭国には女王がおり、伊都国にも「世々王有り」とありますから、「伊都国王」という表現には納得がいくのですが、奴国に王がいたという事実は、中国の文献上──少なくとも日本の三世紀について記された『魏志倭人伝』──には存在しません。

志賀島から出土したという金印については、「漢ノ委ノ奴ノ國王」という読み方自体が見直しを迫られています。

資料館に隣接する須玖岡本遺跡は出土物の内容から見ると、王墓級であり、そこから「奴国王墓」という表現を用いたのでしょうが、この地を「奴国」とする限り、女王の都する処=いわゆる「邪馬台国」=『魏志』に云う「邪馬壹国」は永遠に発見できないでしょう。