これが人間を動かす原動力なのだ。まさにエンジンだ。最重要臓器である。心臓が何かの理由で突然止まれば、間もなくその人が死んでしまうことは誰でもが知っている。心臓に命があると昔の人が考えたのも、うなずける。

突然死には定義があって、発症から24時間以内に亡くなる場合をいうらしい。原因の6割が心臓であるという。僕が子供のころ、近所の20歳くらいの肥満気味の元気そうな若者が、普段どおり眠りについたまま、朝起きてこないので、家族が起こしに行くと亡くなっていたらしい。

生理学で習うことだが、心臓の刺激電動系に何か異常が生じたのだろうか。ところが、内科の循環器の講義で、若いが有能そうな講師が、自分は長らく心臓の研究をして来て、最近ようやく分かって来た事がある、と言った。

心臓は馬鹿な臓器だ。只ひたすら同じ調子で単調に血液を送りだす運動をくり返そうとする馬鹿な臓器だ、と強調していた。学生で知識と経験の少ない我々としては、苦笑するしかなかった。

左第5肋軟骨の胸骨端の上下の隙間は、心膜穿刺の際に胸膜や肺を傷つけないですむので重要らしい。大動脈と肺動脈は漿液性心膜によって、まとめてくるまれている。

一方、左右肺静脈、上下の大静脈も共通にまとめてくるまれ、動脈系と静脈系が別々に包まれているわけだ。次に心臓を切り出す。

肺動脈、大動脈、上下の大静脈、肺静脈を心膜の折り返しの所で、次々切断してゆく。メスの切れ味が良いので、抵抗も感じないほど、滑るように切れる。

ただ、動脈は静脈よりは抵抗がある。静脈はまるで豆腐を切るみたいだ。といっても肺動脈には全身からの静脈血が入っているのだが。

総ての血管が切断されたところで、改めて外見を見ると、巨大なジャガイモに切り株が並んでいるような景色だ。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『正統解剖』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。