多分、その先生が変わっていたせいであろう、寄りつく生徒はいなかった、と思う。今頃何処で何をしているのだろう、あの先生。大学時代は、ビートルズばかり聞いていた。

下宿代が払えなく、しかたなく大学内の部室に住み込み始めた先輩がいた。その部屋で、数少ない先輩の持ち物である音の悪いステレオで、先輩が唯一持っていたビートルズのアルバム集を何度も何度も聞いたのだった。

「アビー・ロード」は何度聞いたことだろう。

その後何の因果か、「タイ語」を学習するはめになってしまった。

タイ語の文字を生まれて初めて見た時は、二十五歳を過ぎていた。ハリガネ細工の様なその文字に、頭がクラクラしてしまったことを今でも鮮明に覚えている。

外国語勉強は、左脳を酷使するので、右脳とのバランスを取るために右脳を刺激するのが良く、それには西洋音楽、中でもバッハが一番との記述を見つけ、早速バッハのテープを買い込み、来る日も来る日もバッハを聞いて暮らしたことがある。

バッハの曲を繰り返し聞いたことが、タイ語学習にどれほど効果的であったのかは神のみぞ知る。但し、後遺症が出てしまった。

一時期どこへ行っても「ブランデンブルク協奏曲」の旋律が、頭の上でなり響いて止まらなかった。「ゴルトベルク変奏曲」も併せて良く聞いた曲である。

ドイツの病院の中には、温泉療養と音楽療養を取り入れ、「ゴルトベルク変奏曲」を患者に聞かせ、病気の治療に利用しているとの記述を何かの本で読んだことがある。

バッハの音楽に対し、映画監督の伊丹十三は「神の曲である」と看破している。バッハの曲が、癒やしの効果を持っているというのは多分本当であると思う。

「ヨハン・セバスティアン・バッハ」を聞いていたあの時代、それは私の「癒やしの時代」であったのかも知れない。