その場合、重要になってくるのが周りでかかわっている人々と本人との人間関係です。

Kさんについて考えてみると、Kさんと私たちをまず結び付けてくれたのはケアマネジャーです。

Kさんに怒鳴られながらもKさんのために走り回ってくれました。何度ヘルパーステーションを変更したことでしょう。またヘルパーの皆さんは完璧な仕事を求められたうえに突然自分勝手に暴言を吐き、物盗られ妄想もあるKさんにとても寛容に接してくれました。

看護師たちは表面的なKさんの素顔ではなく、Kさんの本質を理解しようと努力してくれました。医療ソーシャルワーカーは行政との橋渡しをしてくれました。

Kさんを失望させないように医師もそれなりに努力しましたが、これら全ての職種がうまく噛み合ったからこそKさんの看取りができたのだと考えます。

プラスアルファな仕事をする

ここで肝心なことは、関係者それぞれが自分の職域内で「Kさんのために」対応したことです。

ケアプランでヘルパーステーションを入れ替えて、Kさんに新しい担当ヘルパーを紹介すれば、ケアマネジャーとしての義務は果たせます。

しかし、ヘルパーがちゃんと動いているか、薬がちゃんと飲めているか、などいろいろとケアマネジャーは腐心してくれました。プランがちゃんと動いてはじめて「Kさんのために」の仕事が完成することをちゃんと理解していたのだと思います。

ヘルパーの皆さんもKさんからの大きなプレッシャーの中で、頑張ってKさんのお世話をしてくれました。完璧主義者のKさんのお世話は必要以上の努力を強いられることであったと想像しますが、「Kさんのために」余分なエネルギーをいっぱい使ってKさんの満足を作り上げてくれたと思います。

医師や看護師は医学的な見地から身体を管理していればそれで仕事の義務は果たせるかもしれませんが、そこにとどまらず自分勝手なKさんの言動の裏に何があるのか、まさに「Kさんのために」感覚を研ぎ澄ましてかかわってきました。

すなわち、どの職種の人々も自分の職域の最低限の義務を飛び越えて、「Kさんのために」働いたのです。各自の職域で義務を果たす仕事をしても、Kさんのためにならなければその仕事は何の意味もありません。

Kさんにかかわったすべての人々が自分の仕事を意味あるものにするためにプラスアルファの努力をしています。義務を果たす仕事のみを行うなら簡単なことですが、このプラスアルファこそが大変です。

しかし、このプラスアルファこそが仕事の質を決定するといえます。今回のKさんのケースのように多職種が対等な立場で、かつそれぞれの職種がプライドを持って協働していかねば、今後日本に押し寄せてくる多死社会の波を乗り越えることはできないと考えます。

医師も業務独占資格の上にあぐらをかいているだけでは、在宅医療の世界では何の役にも立ちません。「○○さんのために」を実践するためには医学だけでは無理で、多職種の協働が不可欠です。

生前Kさんは「Kさんのために」という言葉を誰かが発すると、即座に激怒したそうです。Kさんは実質の伴わないこの言葉の空しさを感じていたのかもしれません。

しかし、実際にKさんにかかわった人々の「Kさんのために」は十分な実質を伴っていると思います。だからこそ、Kさんはあれだけ嫌がった入院に同意したのです。

だからこそ、みんなで決めた最期に家族に会っていただくという選択にも、かかわった人々全員が胸を張れると思います。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『生きること 終うこと 寄り添うこと』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。