新しいヘルパーステーションが入ることになって何とか秋を迎えることができましたが、今度は下肢の浮腫を引っ掻き、傷から体液が大量に漏出し、そのうえ悪いことに傷の感染も起こしてしまいました。

抗菌薬を処方してもまともには内服してくれません。そうしている間にも腎機能はどんどん悪くなっていきました。腎性の貧血も伴っています。

下肢の感染のコントロールが順調にいかず一カ月ほどが経過し、これを理由に入院を勧めたところ突然激高し、診察もさせてもらえませんでした。

Kさんは自分の行動を非難されたと理解したようです。ケアマネジャーからは、よくあることなので気にしないようにとのアドバイスがありました。案の定、次の訪問診療も同じ医師が担当しましたが、何らトラブルはありませんでした。

入院を同意

その年の一二月のある日、発熱と悪寒があるとのことでKさんから往診依頼がありました。食事はほとんどとれずベッド上で動けない状態でした。

訪問直後は今まで同様「入院はしたくない。ここで死んでもいい」との一点張りでしたが、一人暮らしなので尿や便が垂れ流し状態になってしまうことなども含めて、一時間ほどかけてKさんを説得した結果、私たちのクリニックに入院することを了承してくれました。

入院後は尿路感染症の診断で、抗菌薬投与と点滴で治療し、状態は徐々に改善しました。病棟看護師を呼びつけては大声で文句を言うものの、結局は指示どおり薬も飲んでくれる状態でしたので、早めの退院も考えられました。

しかし入院して三日目、解熱しているにもかかわらず食事が進まず、強い全身倦怠感を訴えました。血液検査上腎機能がさらに悪化し腎不全の状態で、早期退院は無理な状況となりました。

入院八日後には声を出す元気もなく経口摂取は困難なままで、大好きなオロナミンCも飲めません。全身状態はさらに悪化し、Kさんの今後をどうするのか、医師、看護師、医療ソーシャルワーカー、ヘルパーが集まって話し合いを持ちました。

実現はできませんでしたが、自宅での看取りも検討されました。話し合いの中で、たとえ疎遠であっても家族がいるなら現状を家族に伝えることが必要ということになり、医療ソーシャルワーカーが家族を探すことになりました。

当院の医療ソーシャルワーカーが市役所に連絡すると、比較的簡単に息子さんと連絡がつきました。まずは当院へ来ていただき病状の説明を行い、今後はKさんの苦痛を可能なかぎり軽減することを治療の中心とする方針であると申し上げ、息子さんに納得をしていただきました。

Kさんとも面会してもらいましたが、Kさんは横を向いて顔をしかめるだけでした。息子さんは「過去にいろいろあったもので……」と弱々しく話すのみでした。

息子さんの面会から約一週間後、Kさんは静かに呼吸を停止し旅立たれました。息子さんはKさんに最期まで寄り添っていました。多職種協働の重要性最期の最期にKさんと息子さんの面会を企画したことはよかったのかどうかはわかりません。

ただKさんの生命が燃え尽きようとしたときに、かかわっていた周りの人々はその方がベターであると考えたのは事実です。だからこれでよかったのだと思います。

今後、多死社会を迎えようとしているわが国では、Kさんのように独居で最期の時間を過ごすような人が増えると考えられます。今回は最期に家族に会っていただくという結論になりましたが、場合によっては会わない方がベターということもあるでしょう。

最期のときをどのように過ごすかは当然本人の意思が最優先されるべきですが、今回のKさんのように自分の意思を正直に表明できないような人もいると思われます。