第三話 ユース大会物語

1

初の香港遠征クリニックを無事終えた12月17日。新宿駅のとあるレストランで、夏の全国大会を関東に呼び戻すための会議が開かれた。出席者は四津さんの奥様初代(はつよ)さん、高橋町子さん、梶明(かじあきら)さん、関東女子硬式連盟創設時からの高校4校の監督、コーチ陣である。

第1回から7回までの夏の全国大会にご尽力された方々と、現役指導者とが融合し、今後の女子硬式野球を普及するためにも、関西と関東にそれぞれ分けて大会を広めようとの意図であった。

最終的には、当時の女子高野連は組織としてまだまだ脆弱(ぜいじゃく)で、この時期での関東開催は時期尚早となり、一度、東日本レベルの大会を関東で実施して、本当に全国大会ができるようであれば、改めて関東での夏の全国大会を要請することになった。

その後、年明けの寒い夜ではあったが、自宅の浴槽に温泉の入浴剤を入れ、リラックスしていた時、かねてから四津さんが中学・高校世代のユースの大会をいつか開催したい希望があったことを思い出した。

──そうだ、東日本ではなく、どうせやるなら全日本女子硬式野球(U―18)選手権大会なるものをやろう。と、頭の中に描いていた。

さっそく、大会開催に向けてプランを立てた。第7回の夏の全国大会の実行委員長となり、その大会準備の進め方を四津さんから手取り足取り教えられたことがここにきて活きた。

まずやらなければいけないのは、開催費用の確保、開催場所の確保、開催日程の決定、運営・補助員の確保、主催・後援の決定、審判団の協力、医療機関・警察関係との連携、マスコミ対応などであった。

大会運営費は、できるだけボランティアで多くの部署にお願いし、大会参加費各チーム1万円、関東連盟協賛金20万円、広告代20万円、パンフレットの販売10万円の合計約70万円で予算を立てた。運営には平成国際大学女子硬式野球部と花咲徳栄高校女子硬式野球部にお願いをしたが、グラウンド整備、ボールボーイ、スコアボード係、水まきなど多くの仕事があり、人数が足りなく困っていた。

そこで、何十年もお世話になっている加須シニアの網野(あみの)監督のところに行き、「今度、加須(かぞ)で女子硬式野球のユースの全国大会をやろうと思っているんですが、8月の下旬を考えています。シニアの方で大会期間中手伝っていただけませんか」

と、希望的観測の気持ちで言うと、

「濱本さん、長い付き合いだな。この加須の田舎で全国大会をするとはなかなかできないことだよ。ちょうど、その期間はシニアの試合がないので手伝うことができるから大丈夫だよ」と、こころ温まる言葉を聞いた時、涙が出そうになった。

※本記事は、2017年2月刊行の書籍『女子硬式野球物語 サクラ咲ク1』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。