「生きる」とは人生に自分の詩を創ること

こんな話がある。

中国の、とあるホテルのロビーに、日本の若いビジネスマンが立っていると、初老のおばあさんがやってきて

「娘が重い病気に罹っていて、今にも死にそうです。でも病院に連れて行くお金がなくて困っています。厚かましいお願いですが、いくらか助けてもらえないでしょうか?」

青年は「それは大変だ。いくら必要なのですか。すぐにでも娘さんを病院に連れて行ってあげてください」と言ってお金を渡してあげた。老婆は何度も感謝の言葉を繰り返し、頭を下げて去って行った。

そのあと、ホテルの支配人が近づいてきて、こう言った。

「あのおばあさんにお金をあげたのですか。あのおばあさんはいつもここに来て、旅行客の人からお金を無心していくのですよ。娘さんは病気でもなんでもありませんよ」

それを聞いた若者は言った。

「え! 娘さんは病気じゃなかったんですか。ああ良かった!」

騙されないように生きることばかりに気を付けて、注意深く生きていたら、心が狭くなるし、人生が狭くなるように思う。騙されても「アッハッハ!」と笑い飛ばす心の余裕を持って、生きていきたいものだ。騙されてもいいけど、決して騙さないことが大切なのだ。そういう生き方をした方が良いとは言わない。ただ、そんな生き方が僕は好きなだけだ。

経験的にいうと、小銭ではなくまとまった金額で貸した金は、滅多に返ってこないものだ。

ただ相手は返そうという意志はあるが、金が無くて返せない場合が多い。親しい人でないと借りようとは思わないし、親しくないとこちらも貸さない。でも2度、3度と貸して返ってこないと、だんだん人間関係が疎遠になってくる。結局友人を失うことになる。だから金はできるだけ貸さない方がいい。それでも困っていて、何とかしてあげたいと思うときは、貸さずにあげてしまう。その方が、人間関係が壊れない。返せる人はそれでも返してくれる。

期待していないのに返ってくると、「ありがとう」という気持ちになってくる。「騙されない」ように生きていくのではなく、「信じ合う」ような関係を創っていきたいものだ。

50年ほど前にインドに行った時、デリーの街を歩いていると、ぼろぼろの恰好をした子供がお金をせびりに来た。バクシーシ(イスラム語の〝喜捨〟、ヒンディー語の〝おめぐみを〟)である。

わずかなコインをあげると、そのあとでどこから集まってきたか、たくさんの似たような子供たちが、自分の周りにまとわり付き、皆のバクシーシで歩くことも出来なくなった。最初にあげた子が、仲間たちに「あの人はお金をくれるよ」と話したのだと思う。それからは、安易にお金はあげないようにした。