プロローグ

三寒四温の『温』が勝ち越した一日、日曜の午後。この季節には珍しくコート上は無風で、絶好のテニス日和だった。

ベアーズテニスクラブの事務所建屋はすべてのコートのほぼ中央に位置し、その二階は全面ガラス張りで、周囲を一望できる構造になっていた。

待機のコーチは二人。空き時間ではあるが、コート上のトラブルにいつでも対応できるよう、全体に目を光らせておくのが暗黙の了解だった。従って特定のコート、特定の人物に視点を集中させるのはあまりよろしくない事である。だがそのよろしくない事が起こっていた。しかも二人同時だ。

「また来てますよ」秋山が呟く。明らかに不満げなトーンだ。

「う〜ん」夏木は、聞いているのかいないのか、気の無い返事だ。

『その男』が今日もコートに現れた。ストレッチを行っている。

「あの三人が、うちの最後の砦です。もう素人じゃ太刀打ちできないですよ」

「………」秋山の言葉に、夏木は反応しない。秋山も黙り、暫しの沈黙が続いた。

『その男』とあの三人、合計四人でダブルスを行う。四人は軽いウォーミングアップから、試合前のストロークラリーに移行している。

秋山と夏木は会話はしているが、お互いの顔は見ていない。二人とも視線はその男のいるコート上だった。思い出したかの様に、夏木が口を開く。

「このゲーム、ブッキングしたの、誰だ?」

「ハルに決まってるじゃないですか! 全く、何考えてるんだ、あいつ」秋山は続ける。

「いいんですか? このままで」少し強い口調だ。

「このままでいいのかって、どういう意味だよ!」夏木のカウンターに、秋山がややたじろぐ。この時初めて秋山は夏木に対峙した。本当はさらに強い口調で、こう言ってやろうと思っていた。(あの人のおかげで何人会員さんが辞めたと思っているんですか! どれだけの人に迷惑が掛かっていると思っているんですか! このままだとうちのクラブはメチャクチャです。そもそも夏木ヘッドはあの男とどういう関係なんですか!)ところが実際は、

「あの人のおかげでなんに、ん」まで言ったと同時、いや途中までの言葉に有無を言わせない勢いと大声で、

「始まるぞ!」と、被せられた。

矢吹丈のクロスカウンターよろしく、ノックアウトされた秋山は、その後は一言も言葉を発せない。

その通りその男の試合が始まった。その後、交わらない二人の視線は、その男に釘付けにされる。

その男以外も屈指のメンバーだった。当クラブナンバー1、2、3といって良いだろう。腕前は、アマチュアとしては最高レベルだ。試合が始まる。ファーストゲームはリターンから。その男の今日のパートはデュースサイドだった。